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2018年5月11日 (金)

黒船祭と開国文化

 来週の金、土、日は、下田最大のイベント黒船祭だ。

 昭和9年から始まり、戦中は中止の年もあったが、今年で第79回を数える。
http://shimoda100.com/event/kurohune-festival-2018/
 僕がこの祭を始めて見たのは、15年前。下田に来た年である。
 米海軍や自衛隊、警官隊の吹奏楽団が練り歩き、アメリカ大使や静岡県知事、下田市長らがオープンカーに乗って、町をパレードする。
 この日ばかりは商店だけでなく、屋台もたくさん出て、町中は人だかり。日本人のみならず、アメリカ人もたくさんいて、しかも、時代衣装に身を包む人も闊歩しているという可笑しさである。
 一地方の祭とも思われない国際性はいったいなんだと不思議な思いに駆られた。
 そう、下田には幕末に黒船が来た。そのことが今につながっているのだ。
 そもそもは、この祭、玉泉寺に埋葬された黒船乗組員の米軍兵士の墓を参るために始められたものである。
 言いだしっぺは、明治神宮を建立したことで名高い、明治の経済人渋沢栄一である。いわく「墓には人集まる」と。
 大正末期から昭和初期にかけて、日本はインバウンドキャンペーンを行っており、イベントが各地で開かれていたという。そんな折だが、単なる祭など仕掛けても、長続きするものではない。祭には魂が必要だと、渋沢は、玉泉寺住職に墓前祭を提案したのだ。
 それが昭和に入って、黒船祭となった。「唐人お吉」人気もあって、観光地下田の核となる祭へと発展していく。
 
 昭和33年には、ペリー提督の故郷ニューポートと姉妹都市となる。
 国と国は戦争をするが、人と人とが国を越えて交流を深めれば戦争への抑止力につながり、世界平和へとつながるはずだという崇高な理念が、姉妹都市の中には隠されている。
 これは、人類が殺し合った第一次、第二次大戦の反省から生まれた構想である。
 そして下田の黒船祭は、1983年にはニューポートに輸出され、現在もニューポートでは、7月にブラックシップフェスティバルが開かれている。
https://www.blackshipsfestival.com/
 90年頃からは、両市の市民が互いに祭りに合わせて行き来するようになり、僕は、今年も訪問団の接遇係を仰せつかった。2008年には下田市訪問団を引き連れてニューポートにも行き、以来10年も、ニューポートクラブの一員として、祭に携わっている。
 すると年に一度だけなのに、会う人々の顔が懐かしく、うれしく、実に楽しい。
 今年もまた、ニューポートハウスに駐在しておりますので、お祭りにお越しの方は、ぜひ遊びに来てください。
 何か記念品でもみつくろって、差し上げたいと思います。
 
 今年は姉妹都市60周年なので、下田がこれまで培ってきた国際都市としての活動を、この冬、各中学校、高校をまわり、講演してきた。
 そして僕が感じたのは、この町は、日本開国以来、「開国文化」と呼べるようなものを継承し、培ってきたのではないかということだ。
 下田市観光協会のTさんは、あるネットサイトのインタビューでこんな話をしてくれた。
 外国人観光客が釣りをやりたいと言ってきた。そこで釣り船の船長に電話すると、こう答えた。
「俺は、英語は話せんよ。話せんでもいいなら、面倒見るぜ」
 インタビューをした記者は笑いながら驚いた。
「英語が話せないから、と断るのが普通でしょ? それなのに、英語が話せんでもよかったらって面白い!」
Tさんは言う。
「なんか、下田らしいなと思って……。きっと黒船祭のおかげで、みんな外国人に慣れているんです」
 下田らしいエピソードに、僕も笑った。
 この時は、僕は、この町には、たしかに開国文化が育てられていると感じたものである。

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