« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »

2018年5月25日 (金)

下田ビーチリゾート化計画

 今年から地元、下田の吉佐美区の理事になって、一昨日は管理する各ビーチの点検に行った。

 管理するのは、多々戸浜、入田浜、舞磯、吉佐美大浜の4つのビーチで、吉佐美大浜が最も大きく、駐車場は最大400台分もある。
 とくに夏の海水浴シーズンは力が入る。
 区の事業としては、売店、食堂、ビーチパラソルなどのレンタル、駐車場とあり、1日平均60名の人を雇い、各ビーチで監視する下田ライフセービング協会の学生たちと連携しながら行うことになっているのだ。
 今では事業は、ひと夏で1億円に届かないものの、かつてはそれ以上の売り上げを誇っていたらしい。
 地域の住民が駆り出され、全員同じ給料で働く。それも最近は、地域住民だけでは手が回らくなっているので、地域外の人にも声をかけ、手伝ってもらうようになっている。
 おかげで暴力団の侵入を防げ、健全な海水浴経営が行われているのだが、利用者サービスの向上まではとても手が回らず、今後高齢化、人口減が進む中、どのように運営していったらいいのか、地区ではもう何年も前から頭を悩ませている。
 過疎が進む地域では、おおむね、悲観的な思考が蔓延している。人口減少率が少ない吉佐美地区ではまだしも、下田市街地の人口減少は著しく、夢や未来を描けず、活力が生まれない状況がずっと続いているのだ。
 しかし、40代以下の人たちは、単に悲観的な思考に埋没することなく、前向きに事業をしている人もいる。
 なぜなら彼らは、仕事を始めた頃からすでに不況で、昔の好況期のことを知らないから、悲観的になりようがないからだという。
 吉佐美区の夏の海の事業も、こうした若手の力を注入すべきなのだと思う。
 そうして、下田全体をビーチリゾート化することで、海の通年化を推し進めるのだ。
 海水浴は、もともとイギリスで生まれた健康法で、海のミネラルと太陽のビタミンをたっぷり吸収しようとするものである。
 僕の友人のイギリス人パットなど、我が家に一週間滞在中、毎日海に行っていた。何をしているのかと聞くと、本を読み、ランニングし、海に入って体を冷やし、日光浴して昼寝する。
「極楽だね」ということだった。
 そんな欧米人旅行者が、実は下田には多くいる。
 もう20年も前、下田にはシークレットビーチがあると、インドのダラムサラで聞かされた。ダラムサラは、チベット亡命政府があり、チベット仏教の最高指導者ダライラマが暮らす、北インドのリゾート地だ。
Img_4345
吉佐美大浜で早くも泳ぐ欧米系外国人
Img_4347_640x480
 駐車場でくつろぐ欧米系が行く人も
 それが吉佐美大浜で、だから僕は、友人とこの下田に来るようになったのである。
 昔から、外国人の間ではそこそこ知られ、いまでも彼らの姿は多い。
 今年はタイのピピ島も、フィリピンのボラカイ島も、汚染がひどく閉鎖されることになった。
 そしてビーチリゾートは、世界では意外とあまり数がない。だからこそ、ピピ島やボラカイ島のような現象が起こるのだろう。
 海外旅行が一般化し、数少ない美しいビーチリゾートを求める人の数が、飛躍的に増えているのだ。
 幸い日本は先進国で、汚染対策を含む設備は整っている。
 しかも下田の海の美しさは、世界の一級である。
 間違いなく、プーケットやバリ、沖縄本島以上の透明度だ。
 そこで、下田ビーチリゾート化計画なのである。
 今だシークレットのままでいる、我が下田は、いつしかれっきとしたビートリゾートとして、世界に名立たるところになるかもしれない。
 そんな夢や未来予想図が、僕の頭の中には、はっきりと描かれている。
 下田の町は、昔からそうだったように、これからも、きっと海の恵みを受けて変わるのだ。
 その第一歩になるように、今年は理事として、地元の人たちと一緒に活動していきます。
 少しずつかもしれませんが、みんなで下田のビーチを変えていきます。
 こうご期待!
 みんな、遊びに来てね。
 夏はたぶん、僕は毎日入田浜に来ています。
 今年は真っ黒になりそうだなあ。

| | コメント (0)

2018年5月11日 (金)

黒船祭と開国文化

 来週の金、土、日は、下田最大のイベント黒船祭だ。

 昭和9年から始まり、戦中は中止の年もあったが、今年で第79回を数える。
http://shimoda100.com/event/kurohune-festival-2018/
 僕がこの祭を始めて見たのは、15年前。下田に来た年である。
 米海軍や自衛隊、警官隊の吹奏楽団が練り歩き、アメリカ大使や静岡県知事、下田市長らがオープンカーに乗って、町をパレードする。
 この日ばかりは商店だけでなく、屋台もたくさん出て、町中は人だかり。日本人のみならず、アメリカ人もたくさんいて、しかも、時代衣装に身を包む人も闊歩しているという可笑しさである。
 一地方の祭とも思われない国際性はいったいなんだと不思議な思いに駆られた。
 そう、下田には幕末に黒船が来た。そのことが今につながっているのだ。
 そもそもは、この祭、玉泉寺に埋葬された黒船乗組員の米軍兵士の墓を参るために始められたものである。
 言いだしっぺは、明治神宮を建立したことで名高い、明治の経済人渋沢栄一である。いわく「墓には人集まる」と。
 大正末期から昭和初期にかけて、日本はインバウンドキャンペーンを行っており、イベントが各地で開かれていたという。そんな折だが、単なる祭など仕掛けても、長続きするものではない。祭には魂が必要だと、渋沢は、玉泉寺住職に墓前祭を提案したのだ。
 それが昭和に入って、黒船祭となった。「唐人お吉」人気もあって、観光地下田の核となる祭へと発展していく。
 
 昭和33年には、ペリー提督の故郷ニューポートと姉妹都市となる。
 国と国は戦争をするが、人と人とが国を越えて交流を深めれば戦争への抑止力につながり、世界平和へとつながるはずだという崇高な理念が、姉妹都市の中には隠されている。
 これは、人類が殺し合った第一次、第二次大戦の反省から生まれた構想である。
 そして下田の黒船祭は、1983年にはニューポートに輸出され、現在もニューポートでは、7月にブラックシップフェスティバルが開かれている。
https://www.blackshipsfestival.com/
 90年頃からは、両市の市民が互いに祭りに合わせて行き来するようになり、僕は、今年も訪問団の接遇係を仰せつかった。2008年には下田市訪問団を引き連れてニューポートにも行き、以来10年も、ニューポートクラブの一員として、祭に携わっている。
 すると年に一度だけなのに、会う人々の顔が懐かしく、うれしく、実に楽しい。
 今年もまた、ニューポートハウスに駐在しておりますので、お祭りにお越しの方は、ぜひ遊びに来てください。
 何か記念品でもみつくろって、差し上げたいと思います。
 
 今年は姉妹都市60周年なので、下田がこれまで培ってきた国際都市としての活動を、この冬、各中学校、高校をまわり、講演してきた。
 そして僕が感じたのは、この町は、日本開国以来、「開国文化」と呼べるようなものを継承し、培ってきたのではないかということだ。
 下田市観光協会のTさんは、あるネットサイトのインタビューでこんな話をしてくれた。
 外国人観光客が釣りをやりたいと言ってきた。そこで釣り船の船長に電話すると、こう答えた。
「俺は、英語は話せんよ。話せんでもいいなら、面倒見るぜ」
 インタビューをした記者は笑いながら驚いた。
「英語が話せないから、と断るのが普通でしょ? それなのに、英語が話せんでもよかったらって面白い!」
Tさんは言う。
「なんか、下田らしいなと思って……。きっと黒船祭のおかげで、みんな外国人に慣れているんです」
 下田らしいエピソードに、僕も笑った。
 この時は、僕は、この町には、たしかに開国文化が育てられていると感じたものである。

| | コメント (0)

« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »