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2018年3月 9日 (金)

下田高校で講演会

 今日の午後は下田高校で一時間ほど話をしてきた。

 静岡東部の基幹校のひとつで、去年は東大へも合格者を出したかな。
 市内の中学校でした話と同様に、幕末の黒船来航、その後の黒船祭が始まった経緯、そして姉妹都市の意義などを話してきた。
 ただ下田高校は、中学校と違って、伊豆全域から生徒が来ている。
 そこで今日は、伊豆全体、そして下田高校の成り立ちも話した。
 下田に黒船でペリーが来たのが1854年。日米通商友好条約の付則条約を締結するためである。
 すでに下田、函館両港が外国船に開港され、下田には黒船のほかにも色々な船籍の船が来航していただろう。
 秋になってきたのは、ロシアのプチャーチン率いるディアナ号である。日本に通商条約の批准を迫った。
 ところが安政の大地震に襲われる。
 それでも条約は締結し、北方四島が日本に含まれることが確認された。今でも日本政府は、この外交文書を持って、北方四島の日本領有を主張しているわけである。
 そのせいで、北方領土の日である2月7日には、下田の中学生たちが、地元で行われる「北方領土マラソン」に参加している。
 参加者上位には北方領土返還運動の基地たる根室市より新巻鮭が贈られている。
 さて、地震に遭遇したディアナ号は、補修が必要であった。そして沼津の戸田(へた)で修理が決まった。しかし曳航していく途中に嵐に遭って、船は沈没、ロシア人乗組員たちは、富士や沼津、戸田の漁師に助けられた。
 そのおかげで、下田を始め、これらの市町は、いまでもロシアと行き来があって、日ロ協会が熱心に活動している。
 戸田では新しい船を作ることになった。日本人の船大工たちが伊豆各地から集められた。ロシア人技術者の指導の下、日本人による初の西洋型船が完成した。
 ここで学んだ船大工の中には、長崎海軍伝習所で勝海舟たちと学んだ者、咸臨丸でアメリカに渡った者もいる。
 のちの横須賀造船所では、技術の面で中心的な役割を果たしたのである。
 造船大国ニッポンの曙は、この伊豆からはじまったと言っていいだろう。
 歴史の中には、思いもよらないその土地の姿が眠っているものである。
 今では観光地として名高い伊豆も、かつては世界に向かう扉のような地域であった。
 生徒諸君が、僕の話を聞いて、何か少しでも心に残ることがあったらいいな。
 そして僕は帰宅し、海を見て、また世界に心を馳せるのである。

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