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2018年1月26日 (金)

大阪トークショー3連発!

 大阪は日本一周の時、立ち寄って以来なので、もう八年ぶりである。

 今回は、新刊が発売されたこともあり、また関西旅行人会の新年会が20周年を迎えるというので、タイミングがよさそうと思って、旧知の池ちゃんやランちゃんに、トークショーをやれないか相談したのだ。
 すると新年会はまずOKで、さらに池ちゃんがどうせならもう2回やろうということで、福島区にあるアジアンレストラン「亜州食堂(チョウク)」と、すぐ近くの「ワンダラーズ大阪」でもとなったのだ。
 いずれも旅の仲間が協力してくれることになったのである。
 ありがたいなあ。
 新大阪駅からまずはホテルで荷物を仕分けし、販売分の本をリュックに担いで、地下鉄、近鉄と乗り継いで、新年会のある今里へ。
 今里の前の駅、鶴橋で、列車のドアが開くとプーンと甘い焼肉のたれの匂いが鼻に届いた。
 その瞬間、僕は思った。
 もうすぐそこは大陸なのだ、朝鮮半島なのである。
 一気に、アジアが近づいた気分になってくる。
 考えてみれば、東京は現在日本の首都ではあるが、江戸時代まで鎖国していた時の、幕府の本拠地で、東に位置し、奥まっている分、大阪よりはアジアや世界が見えにくい。
 そこへ行くと大阪港は西に向って、ぽっかりと口を開けている。沖縄や鹿児島とフェリーで結び、神戸からは今でも上海に船で通じる。
 大阪に来て、アジアを感じるのは、千年以上も昔から、大陸からの文明文化が、この地にもたらされてきたせいかもしれない。
 2日目の朝、池ちゃんに大阪の中心街福島区を案内してもらった。
 水路が行き交う町の様子は、まるでタイのバンコクさながらだ。その水路を使って、かつては物資が行き交っていた。商都ならではである。
 第二次大戦時の空襲を免れた石造りのビルが一部に残り、デザインを受け継いだ新しいビルが建ち並ぶ。
 しかし一歩、下町に足を踏み入れば、庶民の家々が建ち並ぶ。道もまっすぐではない。
 東京で言えば、まるで丸の内の隣が浅草のような按配だ。
 しかも飲食店は、個人経営が多いようである。チェーン店があまりのさばっていないところもうれしい。
 関西旅行人新年会は、ディープな感じの中国東北料理屋「紫金城」で開かれ、翌日の「亜州食堂」は家庭料理に近いカレーが抜群にうまかった。
http://chowk.pya.jp/
「ワンダラーズ大阪」は、まだ始めたばかりだが、これから旅の発信地として、活用されていくにちがいない。
http://wandererslife.jp/magazine-home/
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 いずれの場所でも満員御礼という状態で、拙著もたくさん買っていただいた。
 みなさま、ありがとうございます!
 そして感じたのは、やはり世界はすばらしく、そのことを、これからも、もっと多くの人たちと共有したいということだ。
 できれば、子供たちにも、未来を照らすように語りかけたい。
 内向きと言われてばかりじゃしょうがないでしょ。
 日本はアジアの国の中では、どこよりも早く世界に目を向けたはずなのである。
 そして日本のバックパッカーは、アジアのトップランナーとして、世界に旅立った。
 その経験を、日本だけでなく、アジアに広く伝えていくこと。
 きっとそれが僕の使命なのである。
 などと、気持ちが昂ったりしたのは、トークショーに来てくれたみなさんが、とっても温かかったからです。
 いいな、大阪……としみじみ思う。
 また近いうちに行きたい。
 深い歴史の宝庫、関西には、これから本を書くために、調べたいことが山ほどもあるのです。いずれも日本と世界をテーマにしたもの。
 そうそう、トークショーでも話しましたが、僕が世界に興味を持つようになったのは、70年の大阪万博で迷子になって、世界中の迷子たちと一緒に、遊んだから。
 その時、これが世界か!と実感したのである。
 僕の世界旅は、実は大阪から始まっていた!
 そして今回、ふたたび、大阪から僕の次のステージが始まりそうな予感がしている。

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2018年1月19日 (金)

黒船が来た町で、子供たちに伝えたいこと

 僕の住む伊豆の下田は、黒船でペリー提督が来たことで知られる。いわゆる「開国のまち」。

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 1953年、日米和親条約が締結されると、即時開港され、3年後には、はじめてのアメリカ領事館も置かれた。
 初代公使はタウンゼント・ハリス。ここに三日間だけ通ったのが、唐人お吉で、後に小説になり、すっかり有名になった。
 戦前には、黒船にちなんで、アメリカも巻き込んだ「黒船祭」が開催されるようになり、今でも5月には、米大使や第七艦隊の司令官など、お越しになるほどである。
 人口2万人余の小さな町にしては、堂々たる存在感で、きれいな海も相まって、この町は観光の町になったのだ。
 今日から四週連続で、こんな下田の中学校で講演する。
 というのも、今年が、下田とニューポートの姉妹都市60周年にあたるからである。
 僕が子供たちにも地元の歴史を知ってもらいたいと話すと、ボランティア団体である「ニューポートクラブ」のみなさんや、市教育委員会が賛同してくれ、開催されることになった。
 日本が「失われた二十年」を過ごすうち、世界は、いや、特にアジアは様変わりした。
 IT技術を使って町は発展し、人々の暮らし向きも格段に良くなった。
 2017年には、中国から香港も含めて950万人もの観光客が訪れるようになっている。
 ところが日本は相変わらず内向きである。時給も韓国より下になり、気が付けば、「先進国と言えますか?」というような状況である。
 それなのに、相変わらず日本礼賛ばかりでは、いい加減飽きましたね。
 こんな世間の風潮には……。
 開国の時代と同じく、しっかりと世界を見つめていくこと。そろそろ外向きにチェンジする時なのではないのでしょうか。
 それを世界を知っている者たちが、子供たちにも話して伝えていく。
 失われた二十年では、そんな取り組みが少なすぎたのではあるまいかと、反省しているところであります。
 だから年末のテレビ番組で、「ブラックフェイス」のようなことをして、しかも無知が、大手を振って歩くような醜態を示すことになったのではないかなあ。
 
 そんなことはともかく、世界は実に面白い。
 下田の町の歴史を伝えることで、子供たちの目が世界に向かって見開くような話をしてきたいと思います。

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2018年1月12日 (金)

美智子皇后を案内した男、松岡宏大

 インドの小さな出版社、タラブックスをご存知でしょうか?http://tarabooks.jp/

 手作りで美しい絵本を製作し、世界に注目されている出版社です。
 出版大国日本では、本屋が潰れ、売り上げは右肩下がり、出版社が出したい本を作ると言うより、取次の売り上げ至上主義に支配され、消費動向に合わせて本を作るようになっている。
 これでは新しい価値を、求める人たちに届ける仕組みになってはおらず、せっかくITが進化し続けているにもかかわらず、双方向的な楽しい本の世界を作り出せないジレンマに陥っている。
 作家である僕も苦境にさいなまれる一員なのだが、ひとりの旅行者が20年以上もインドに通い、このタラブックスに出合って、感激し、さらにタラブックスで扱った、インド先住民がいる村にまで足を運んで、日本で本を出している。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%AA%E5%87%BA%E7%89%88%E7%A4%BE%E3%80%81%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%99%E3%81%90%E3%81%AB%E6%9C%AC%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B-%E9%87%8E%E7%80%AC%E5%A5%88%E6%B4%A5%E5%AD%90/dp/4768308511/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1515744860&sr=1-2
 それが松岡宏大君である。
 松岡君は、カメラマン、ライターで、もう二十年も前に、「格安航空券ガイド」(双葉社)という雑誌で(下川裕治さんがやっていた)、お互いに記事を書いたりしていた間柄である。
 まさかここまでインドに入れ込んでいるとはつゆ知らず、この前、会った時、「大五さん、ずっとインド一筋ですよ」と言われてしまった。
 そのタラブックスが、昨年板橋区立図書館で展示され、なんと皇后の美智子さままでお越しになり、誰かご案内をということで、指名されたのが、日本で最もタラブックスや件の先住民に詳しい松岡君である。
「ところで、背広とか、持っていたの?」
 僕の問いかけに、周囲の人たちも深々とうなずいた。
 いかにも持ってなさそうな、髪の長いバックパッカーのような風体なのだ。
「それが、一着だけ、持っているんです」
 松岡君は笑って言った。
 自分が見つけた価値を大切にし、信じ、情熱を傾け続けた。そこにようやく扉が開いて、光が差し込んできたような出来事だと僕は思った。
 創作者に大切なのは、売る売れないより、何よりもこの情熱である。執念と言っていいかもしれない。
 それが人の心を打ち、この世を動かし、結果、売れるだけのことである。
 タラブックスの凄いところは、まさにそんな出版の原点から本を出し、しかも世界中で心を打たれる人が生まれていることだ。
 美智子皇后も、松岡君も、そんな心を動かされた一人なのである。
 また松岡君は、格安航空券時代のデザイナー望月昭秀さんと組んで、「縄文ZINE」と言うフリーペーパーも出している。ずっと赤字続きなのだが、「縄文は面白い!」と発信し続けている(売れっ子デザイナーになった望月さんが赤字を補てんし続けているという)。
 ITがもっと進化すれば、こうした現象は、きっと日本のあちこちで起こる。その方が今よりも楽しいはずなのだ。
 するとこの縄文ZINEは、口コミで伝わり、今では3万部も刷るほどになった。ほしい人が多いので、それならばと、今までの本を合本して発売される。
 https://www.amazon.co.jp/%E7%B8%84%E6%96%87ZINE-%E5%9C%9F-%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E5%90%88%E6%9C%AC-%E7%B8%84%E6%96%87ZINE%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4990996305/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1515744860&sr=1-1
 
 昔の仲間がこうして頑張っているのは、すごくうれしい。
 何より、自らの価値観を信じて、情熱を注ぎ続けてきたことが尊い。
 板橋美術館での展示会は、美智子さま効果もあって、終盤は七十メートル以上も行列ができていたそうである。
 松岡君のトークショーには、百人以上の聴衆が詰めかけたという。
「今年は縄文が来ますよ!」
 新年のメールで、松岡君は力強く書いてよこした。
 

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