« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年2月26日 (金)

なぜ壁を作りたいのか~知らないのは知事ばかりなり

 静岡県がやけに壁を作りたがっている。

 巨大防潮堤のことである。
 人命を守り、財産を守るために。
 昨日記者会見で、示されたのは、作ってほしいと思っている地域が意外に多いことだった。
https://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-510/documents/2gatu.pdf
 そりゃ、命や財産を守るために作ってやっからと親切ごかしに言われたら、つい、お願いします。と言いたくなってしまうかもしれない。
 それが大切なものを破壊されることだとは、感じられないからである。
 作ってくれるのであって、壊されるわけじゃない。
 いいえ、自然が壊される。
 なのにどうして、作ってほしいと思うのか、僕にはわからない。あるいはどうして作りたいのかも、僕にはわからない。
 ベルリンの壁を作って、壊すまでに何十年もかかった。
 イスラエルの西岸には分離壁が建てられている。
D8762e9b
(読売新聞エルサレム支局提供)
 この高さは8メートルだ。
 津波は怖い。
 しかし海と陸を分離して、どうしようというのか。この壁も、テロ対策で建設された。それなりに効果が上がっている。
 そしてユダヤ人とアラブ人の心も分離する。
 ネットやSNSでつながらなければ、伊豆半島の巨大防潮堤建設は、情報が入ってこないという。
 県は公表しているにもかかわらず、市井の人には知らされず、計画だけが着々進む。
 いったい誰のだめの壁なのか。
 県の土木による土木と建設業者のための壁ではないのか。
 そもそも、建設計画について、情報が入らないという時点で、見えない壁が立ちはだかっているような気がしてならない。
 僕たちは、SNSでつながりながらも、実は分離されているのだろうか。分離されているから、SNSを使っているのか。
 伊豆半島を壁だらけにして、どうしたいのか。
 壁なんて作ったら、誰が見たって、伊豆ジオパークの世界ジオパーク認定はアウトだ。
 きっとそのことを、川勝知事はご存知でない。

| | コメント (1)

2016年2月19日 (金)

ベトナム航空の受難?(マッラカ滞在番外編)

 今回は羽田発のベトナム航空を利用して、ハノイ経由でクアラルンプールに行った。

 安かったからである。税その他すべて込々で45000円弱。
 ところが、チェックインの時に確認すると、思わぬ出費を余儀なくされそうで、ガックリときた。
 乗継便の兼ね合いで、往復ともにハノイで一泊である。ハノイには友人が単身赴任しているので、この機に乗じてランチを食べる約束だった。
 それは楽しみだったが、去年から規定が変わって、ベトナムに30日以内に再入国した場合、ビザが必要となり(空港で取得可)、45ドルもかかるというのだ。
 つまりマレーシアからの帰国時に、入国すればこの出費を覚悟しなければならない。いっそ空港に泊まろうかと思ったが、空港近くのホテルはすでに予約済み。それに空港で寝たら疲れる。
 あーあ……。
Img_2024_640x480
 ハノイ・ノイバイ空港で出発を待つベトナム航空機
 次なる知らせは、Delayであった。
 16:35発が19:00発とな。でもお食事千円券が出て、助六寿司とサーモンサンドイッチ、ジュースを購入。
 明日の朝にでも食べようと機内に乗り込む。
 ところが一向に出発しない。
 待つこと二時間。機体の修理のために欠航が決定!
 機内での欠航決定は、何百回乗ったか知らない飛行機で初の体験である。
 どうするのかなと思ったら、まずは機内食サービスだ。ビールを飲んで、満足である。
 次に飛行機を降りて日本再入国。免税品購入の人は、逆税関審査であった。免税店で口紅を買った妻は、すでに使ってしまっており、事実上出国しなかったので、課税措置が必要である。その額200円。
 めんどくせえな、もう。杓子定規に法に則って措置するところは、いかにも日本だ。
 午後9時。成田行きのバスに乗り込む。
 もちろん無料で、東武成田ホテルにチェックインしたのは午後十時。バイキング朝食付きの無料宿泊である。翌朝の成田発ハノイ行きに急きょ変更したのだ。
 助六とサンドイッチは夜食でいただく。
 翌日、僕らの乗継便はどうなるのかと思ったら、グッドタイミングで、クアラルンプール行きに接続していた。
 成田空港をハブにして、アメリカとアジアを結ぶ戦略のベトナム航空では、成田便が主要路線となっているのだ。成田~ハノイ五時間弱の時間的近さを利用して、乗継できるように考えられていた。
 つまり、行きはベトナム入国しないで済むことになったのだ。ということは、一人45ドルのビザは不要だ。そしてハノイに一泊したなら、市内までのタクシーが往復50ドル。食事代で20ドル見ておいたので、トータルで160ドルも浮いた計算だ。
 友人に会えなかったのは残念だが、得しちゃったのか?
 ハノイのホテルはノーショーになってしまったので、キャンセル料20ドルが発生するが、いまだにその請求はない。
 結果、損害額は口紅の税金200円だけである。
 僕たちは、ハノイに向かうベトナム航空の機内で笑った。こんなこともあるのね。
 そうしたら、機内誌に友人が載っていた。
 カメラマンなのに、逆にカメラで写され紹介されている。
Img_2018_480x640
 友人に会えなかった代わりとばかりに、懐かしい顔との再会が待っていたのだ。
 来年の冬は、ベトナムのホイアンかダナンあたりに長逗留しようかな。ハノイでは単身赴任で頑張って地下鉄を掘っている友人の激励も兼ねてもう一度行く。
 

| | コメント (2)

2016年2月15日 (月)

吉佐美区巨大防波堤建設計画

 昨年話を聞いて、びっくりした下田市吉佐美区の巨大防波堤建設計画だが、地元で2月上旬、第3回目の会議が行われた。

 その内容を報告します。
Img_2349_640x480
今日の吉佐美大浜。きれいだなあ。

「巨大防潮堤建設の今後について」

 岡崎大五(作家・下田市観光大使)

 2月上旬、静岡県道路基盤部と吉佐美区の防潮堤建設に関する第3回目の会議が開かれました。

吉佐美区では、第1回目より、建設反対を主張してきています(田牛、吉佐美大浜、入田浜、多々戸すべてのビーチにおいて)。

今回は、反対をあらためて主張すると同時に、防潮堤建設よりも、緊急避難路の整備を優先してほしいと申し入れました。

吉佐美は山が多く、近隣に逃げる場所はいくらでもあります。東日本大震災以降、区が単独で地権者と話し合い、緊急避難所を確保して来ています。

ただし独自に予算がないため、「手作りの道」となっているのが現状です。

  防潮堤を作り、津波対策をするという県の案に対して、はっきりと対案を示したことになります。

この3月で、県の担当者も区側のメンバーも、大幅に変わることが予想されるため、次回の話合いはまだ決まっておりません。

4月新年度以降に示されるであろう、県側の回答が待たれるところです。

この防潮堤建設は、「静岡モデル」と称される浜松以東の防潮堤建設計画に、下田が含まれたために、昨年10月吉佐美区に防潮堤建設案がもたらされたものでした。

ただし、伊豆地域の津波対策については、かねてより、「観光との兼ね合いから、地元住民の意志が尊重される」というのが静岡県の基本姿勢です。

今後も注視は必要ですが、これまでの話し合いで、地元として「防潮堤はNO!」の意志を、県側にはっきりと示せたはずです。

そして何より、今回の会議で、傍聴にいらした方々の熱心さは、関係者に伝わったようです。

ようやく「巨大防潮堤建設問題」が、「公開された」のではないでしょうか。

できれば静岡県には、話し合いの最初の段階で、防潮堤建設計画を公にし、地元のみならず広く市民などに知らしめた上で、地元との話し合いに入っていただきたかった。

それが民主主義の本筋だという気がしてなりません。

 

| | コメント (2)

2016年2月 5日 (金)

マラッカ滞在(その3)

 いけみが町で知り合った建築家の林(リム)さんが、ホテルまで来てくれた。

「よかったら、僕とパートナーの会社がてがけた物件を見てみないかい?」
 林さんは、マラッカとクアラルンプールに共同経営の会社を持っているそう。
 車はシルバーのアウディA7、高級車だった。
 アウディ―に乗っての市内建築探訪が始まった。
 まずは林さんの実家。現在彼の会社で、ゲストハウスを建設中だ。マラッカ川沿いの家である。
「子供の頃はここで育ったんだ。祖父が中国南部の出身でね。マレーシアの大学を出た後、イギリスに留学し、建築家になったのさ」
 林さんは六十過ぎくらいの年齢である。
「昔はここに、親戚も含めて、最大で三十人も暮らしていたんだよ」
 林さんは懐かしそうに話した。
 近所の料理屋、果物屋、インド人の問屋など全員知り合いである。
 この地で貿易で財を成した華僑をプラカナン(海峡華人)と呼ぶ。そんな彼らがオランダ植民時代から引き継いで建てた建物が、プラカナン建築だ。
 うなぎの寝床のように長く、間に光と風を取り入れる中庭があるのが特徴だ。
 林さんの実家は、そこまで長くなかったが、当時の面影を残すべく、ところどころに元のレンガが見えるデザインになっていた。補強した鉄骨は色を塗って、壁の色と調和している。
 150_2
 こうして百年以上も前の建物が息を吹き返すのだ。
 林さんの会社は、今やマラッカ旧市街のランドマークとなった「ジオグラフィック・カフェ」を手がけたことで、一躍名が知れた。
 林さんいわく、マラッカにパリのカフェを取り入れたのだ。小さな庭が内部にあり、緑が印象的なのが、プラカナン建築の特徴を伝承している部分だ。
154_2
 日本人にも人気の『コートヤード・ヒーレンブティックホル』 https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g306997-d1590958-Reviews-Courtyard_Heeren_Boutique_Hotel-Melaka_Central_Melaka_District_Melaka_State.htmlも設計を手がけ、マレーシア国内の建築賞「PAM AWARDS」を受賞している。151
 ホテル内ではここでも緑のあるこ小庭があちらこちらに。
152
 ホテルのロビーで林さんと。
 このホテルのすぐそばに、二週間前にスペイン料理店『TAPAS』が開店。ここでも設計を手掛けた。
 会社では、古い看板やタイル、家具、木製のドアなども収集し、プラカナン建築らしく見せる工夫を随所に施す。
 考えてみれば、マラッカが世界遺産の町として有名になり、世界の旅行者たちから評価されたのは、古き良き時代のプラカナン建築の中で食事をしたり、宿泊できるせいもあるだろう。
 新旧の価値を融合させ、プラカナン建築を再生させたことが、この町に果たした役割は大きい。
 建築家がこの町をよみがえらせたともいえる。
 最後に事務所『Ideaworkshop』を訪問した。
 十三名の若きスタッフたちが働いていた。
 この事務所もまた、表からはモダンな建築そのものだが、裏に回るとプラカナン建築の顔をしている。
https://www.youtube.com/watch?v=bwNGrhaTypA
153
 事務所もむきだしの金属と木、光と緑、旧さと新しさが共存する建物だった。
 最後に林さん行きつけの店で、チャンドルをご馳走になり、銘菓のパイナップルパイまでお土産に頂いた。
155
 申し訳ないくらいのアウディ・建築探訪ツアーであった。
 林さんいわく、政府がやったのはマラッカ川の整備だけ。
 「これは失敗に近いね」とか。
 河口堰を作ることで、川がよどみ、一キロ以上も埋立地で海を覆ってしまったために、魚や名物だったカニ(日本のズガニと同じ種類)も獲れなくなってしまったのだ。
 これからは、川や海も含めた環境対策が、この町の大きな課題だ。

| | コメント (0)

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »