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2016年1月29日 (金)

マラッカ滞在(その2)

 長らく日本にいると、具合が悪くなってくる。

 知りたくもないことを知るのはわずらわしいし、冬は寒い。自炊や日本の料理にも飽きてくる。酒も飲みすぎだ。寒いと体が縮こまり、最近はあちこちガタが出る。
 いやだねえ、歳だねえ。
 でも若いころから、この国にいすぎると、なんだかしらんがふんづまる。お仕着せがましい、偏狭な価値観に閉じ込められるのはゴメンだぜ。
 などとほざいて、フーラフラ、海外を旅してきた悪癖が、またぞろ顔をだし、それで今回は常夏のマラッカ滞在なのだった。
 一か月いるというと、地元の人たちは一様にビックりした。
 ここらあたりが同じマレーシアでも、ペナンあたりと違うところだ。
 世界遺産になる以前から、ペナンはタイに長期滞在する旅行者たちがビザ取得のため、ダラダラと過ごしてきた町である。
 スマトラ島に渡る連中も、ダラダラといて、飯はうまいし、物価もそこそこ。長期滞在する連中がウロウロしていた。
 ところがマラッカに来てみると、ホテル価格や環境、食事、どれをとっても過不足がないのに、長期滞在者がいたって少ない。
 日本のロングステイヤーは、どうやら涼しいキャメロンハイランドに集まっているらしい。
 で、日本人もとことん見かけない。いるのは中国人と地元マレー人の旅行者たちである。
 それが今週あたりから、白人を見かけるようになってきた。
 ウム、こうでなくっちゃ。
 マラッカは観光化がペナンほど早くなかった。自然発生的にツーリストプレイスとなったペナンとは違って、世界遺産になったことで、官を挙げてつくられた観光地である。
 だから長期滞在外国人は、これから増えるのかも。
 さて、我々の滞在もそろそろ三週間になるので、近所の飲茶屋では、今日はご常連たちと席を同じくさせてもらった。
 町内会の重鎮たちが毎朝集まり、四方山話に花を咲かせる。
 今日は別の席で飲茶を食べていたおやじさんが来て、リーダー格の人に何やらきつい口調で進言している。
 リーダーはさすがに眠そうな顔でうなずき返し、お茶をずずっと啜ってやり過ごす。
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 そんな様子が、どうにも映画のように見えた。
 来る前に、原節子さんが亡くなったので、小津映画をBSやCSでやっており、散々観てきた。小津映画では、おやじたちがダラダラと娘の結婚などを心配する話をしている。
 その中華系マラッカ・バージョンを見ているような、今朝の光景だった。
 旅に出ると、いつも異なる言葉を耳にし、空気の中にいて、僕自身も頭の中が空っぽになる。
 今日もまた暑いけど、気持ちいいねえ。

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2016年1月22日 (金)

マラッカ滞在(その1)

 先週からマレーシアのマラッカに来ている。

 日本を出る頃に気管支をやられたせいか、のどの調子が悪かった。それがクアラルンプールの安ホテルのクーラーで(たぶん)悪くして、マラッカについて二日間風邪のような症状で寝込んだ。
 大量の汗をかき、快癒したのだが、これでなんだかニッポンが体の中からこそげ落ちたようでさっぱりだ。
 日本からの友人も無事到着、しばらく一緒に遊んだ。
 その友人夫妻も今朝、クアラルンプールに旅立った。
 僕がマラッカを彼らに案内したのだが、考えてみれば、この町に来るのは30年ぶりのこと。067
 当時変わらぬ風情のマラッカの町中
 当時二十代だった僕は、ひとりで金子光晴の足跡を足跡をたどる旅をしつつ、僕自身、金子と同じく、このマレーの美しい自然や人々、おいしい食事にうっとりしていた。
 まるでも夢でも見ているかのような青春の旅だった。
 そして青春の夢ような旅路は、そのまま夢のように流れ、今年30年ぶりにまたここにやってきたのだ。
 マラッカは、何もかもが変わった。
 まず町がきれいになった。
 ホテルや土産物屋、レストランなどが立ち並び、ツーリストの町になっている。
 すぐそこにあったマラッカ海峡が、埋め立てでずいぶん遠くになった。
 インド人街を歩いていると、リーゾナブルな服屋があったので、バティックのシャツを買った。
「マラッカは初めてですか?」
「それが三十年ぶりで」
「なんと、まあ」
 インド系の服屋の店主は、夫婦ともに目を丸くした。
「この町の変わりように驚いたでしょ?」
「ええ。あの頃は、夕方になると暇な男たちが海のそばの河口に集まりのんびり釣糸を垂らしていたものでしたね」
「そうそう。でも埋め立てで海が遠くなってしまった……」
 今や誰もそんな風に夕方の一時を過ごす人などいない。
 あのマラッカ海峡の美しい夕陽を見るのでさえ、どこに行ったらいいのか。
 だから友人が夕日が見たいという希望をかなえてあげられなかった。
 あの頃僕も海の近くで、釣り糸を垂らす多くの人たちと、ぼんやりと夕日を眺めていたっけな。
 それが今では、金、土、日は町中のジョンカーストリートが歩行者天国になり、夜市が開かれて、観光客でごった返すのだ。
 この町を十数年ぶりに訪れている妻は、会う人ごとに「また来るからね」と言っている。
 それくらいマラッカが好きになったみたい。
 もちろん僕も今のマラッカも大好きだ。
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 インド系の服屋のご夫婦と三十年前のこの町の話に花が咲く。
 そうして三十年という月日の長さが感じられるのも、なんだかジーンと来ちゃうんだよなあ。
 

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2016年1月 9日 (土)

下田が死ぬ日

 僕の暮らす下田では、津波でダメージを受ける以前に、静岡県による巨大防潮堤建設によって、殺されるかもしれません。

 そこで僕なりの提言を書きました。
 ぜひ読んでみて。

「下田市吉佐美区の巨大防潮堤計画に関しての提言」

       作家・下田市観光大使 岡崎大五

 

 吉佐美区に巨大防潮堤を建設する計画が進んでいる。

 https://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-320/measures/shizuokamodel.html

これは「静岡モデル」と命名された津波防潮堤計画で、すでに浜松では建設が始まっている。

下田市吉佐美区に、静岡県より吉佐美大浜防潮堤建設の青写真が示されたのは昨年のことである。田牛で11メートル、吉佐美大浜、入田浜、多々戸浜で13.5メールの高さの巨大な壁がそそり立ち、海はもちろん、伊豆七島も、空も見えなくなってしまうのだ。

【現在の吉佐美大浜左端】

Img_2012_640x480

                             

【県が示した青写真による防潮堤の高さ】

Img_2016_640x480

 

 今後、県や下田市と地元との話し合いが行われるのだが、これは吉佐美区のみならず、下田はもちろんのこと、ひいては伊豆半島全体にとっても大きな問題である。

下田では、伊豆急行が運行されてから、夏の海水浴客を中心に観光化が進められてきた。

70年代には吉佐美区で、より安全な海水浴にするためにライフセーバーを支援する活動が始まり、日本で唯一のライフセーバー専用宿泊棟が、区によって海岸近くに建設されている。これで夏の監視活動だけでなく、一年を通した訓練も常時行える体制が整った。

地元の理解や支援を得られたことで、下田ライフセービングクラブは、今ではメンバー数276名と日本最大のクラブにまで成長した。ライフセービングの全国大会で何度も全国一に輝き、オーストラリアのマルチドーライフセービング(クラブ)との交流も深め、毎年のように交換留学生が行き来している。

サーフィンでは、下田市出身の大野修聖選手が全日本チャンピオンになったばかりか、下田の海はサーファーにとって、美しき楽園と評価されるほどである。サーフィンは年間を通じて楽しめる。極寒の真冬を除いても、下田の観光が課題とする「観光の通年化」に大いに寄与している。

また毎年9月には、下田の若者たちが企画し始めたイベント『ビッグシャワー』が吉佐美大浜で行われ定着している。

これら海に関する団体やショップ、漁業、観光関係者などが集うのがマリンネット下田で、自然環境の保護などを活動目標に掲げるほか、東京オリンピックのサーフィン会場誘致に向けても、いち早く行政に働きかけている。

この半世紀で、下田にはマリンスポーツ文化が育ちつつあり、それが観光産業の柱ともなっているのだ。

須崎や田牛地区では、児童、学生の学習旅行誘致に取り組み、一定の成果を上げ、「伊豆自然塾」では、そんな子供たちに磯体験を提供している。吉佐美大浜に来る絶滅危惧種のアカウミガメの産卵も、下田海中水族館や大学の研究室が共同して、観察、保護などに取り組んでいる。下田市でも「世界一の海プロジェクト」を実施し、マリン関係の観光化を充実させてきている。

海と一体化した美しい自然こそが、下田の最大の魅力であり、それは白人を中心とした外国人旅行者にも浸透しつつある。事実、伊豆急では、伊豆急沿線で、下田での白人の乗降客が突出しているという。

フランスの世界的ガイドブック『ミッシェラン』では、下田は観光地として★★を獲得し、これは鎌倉や高山と並ぶ高評価となっている。

そんな美しい自然環境を守るため、吉佐美区では、区民総出で、初夏と秋にはビーチも含めた清掃作業を行い、また夏季の海水浴場開催では、区が駐車場管理、海の家の経営などを行い、地元民の雇用を生むと同時に、ビーチからの反社会的勢力の排除、収益をライフセービング活動費や、無料シャワー、トイレ施設の管理費に充てるなど、社会的な貢献度も大きい。

巨大防潮堤建設は、津波防災であり、人命を重んずる政策であるのは間違いない。

しかし自然破壊のみならず、こうした文化の破壊、この町の歴史の否定をもはらむものであり、津波が来る以前に、この町の将来に向かう大きな希望を破滅させかねないのだ。

現在の計画ならば、海水浴客、サーファーは半減し、「ビッグシャワー」は終了、その他のマリンスポーツや学習旅行なども衰退に向かうにちがいない。

海を拒絶するようなイメージしか持てない巨大防潮堤が、来遊客の心理にどのように作用するかは、あまりに明白であり、下田の過疎化には一層の拍車がかかることだろう。

巨大防潮堤建設が、住民が手塩にかけて育ててきた、下田のマリン文化やこの町の未来を殺すようなものであってはならない。

吉佐美区における巨大防潮堤建設には、日本の土木技術の粋を生かしたものが選択され、自然との調和を目指してほしい。人の住まない、観光客も訪れない、遠州灘の巨大防潮堤と同じ考え方で、安直に建設計画を推進するなど、早計に失すると断じざるを得ない。

あるいは日本の最先端の土木技術を使ってなお、自然を破壊し、地域住民の生活や文化、未来と海とを遮断するものしかできないならば、市民参加型の熟考が必要である。

一部の者たちで考えまとめられるほど、吉佐美区防潮堤建設計画は、単純なものではなく、また防災か、景観かという二者択一の問題でもないのだ。

吉佐美区では、3.11以降、独自の津波防災対策を行っている。高台の緊急避難地の確保、そこへ通じる道路の整備などである。さらに土地所有者と交渉し、高台に倉庫を建て、順次、災害用物資を移行する予定となっている。

災害では、被災後72時間をどう命をつなぐかが最優先される事項だ。

津波対策は、巨大防潮堤の建設だけでなく、こうした地域での防災対策、遅れに遅れる下田市の防災対策との連携の中で、総合的に勘案、構築されるものである。

まずは、広く情報を開示し、行政、関係者、市民の間で議論されるべきである。

仮に今の青写真のまま巨大防潮堤が建設されれば、川勝知事の肝煎りで発案され、県主導で行われている「伊豆ジオパーク」の、ユネスコによる世界ジオパーク認定も危ぶまれることになるだろう。

先の富士山世界遺産認定において、三保の松原に設置されたテトラポットの改善をイコモス(世界遺産委員会諮問機関)から要求されているとおり、景観を損なう土木建設は、「保護」ではなく「破壊」と認定されるのだ。

世界ジオパークでも当然のこと、現地におけるジオパーク(自然)の「保護」が最重要視されている。

巨大防潮堤は、まぎれもなく自然の「破壊」と判断され、すなわち「静岡モデル」そのものが、ユネスコによって否定されかねない事態となるだろう。

静岡県が熱心に取り組んできた「伊豆ジオパーク」の世界ジオパーク認定が、同じく県主導による巨大防潮堤建設で否定されることほど、愚かな選択はないのではないか。

また巨大防潮堤建設は、吉佐美区だけでなく、海水浴場のある外浦区や白浜区でも同様に進められている。

もはや下田に与えられたミッシェランの★★も風前の灯と言ってよいのではないか。

さて、みなさんは、この巨大防潮堤建設をどのように考えますか? (2016.1.9)

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