昭和九年の黒船祭
5月15、16、17日と今年も黒船祭が開催される。
知る人ぞ知る下田の祭なのだが、この祭が最初に開催されたのが昭和九(1934)年のことである。途中第二次世界大戦で休止になった年もあったので今年で第70回だ。
観光関連のことを調べていたところ、おもしろい本を見つけた。『近代日本の国際リゾート』砂本文彦著(青弓社)である。
これによると1930年代に今と同じようなビジットジャパンキャンペーンが行われていた。今は国土交通省が主管だが、当時中心になっていたのは新設の鉄道省国際観光局である。九州の雲仙が上海在住の欧米人の避暑地として賑わい、また箱根や日光、軽井沢などが、次々に東京に暮らす外国人たちに人気の観光地となっていた。
そこで政府は、国際観光ホテルを建設することで、国際リゾート地を開発しようとしたのだ。33年には上高地ホテルが、34年には蒲郡国際観光ホテルが、35年には雲仙観光ホテルが、36年には日本初のゴルフ場ホテル川奈ホテルがあいついで開業している。だから近年行われているビジットジャパンキャンペーンは、七十年の時を経て復活した政策なのである。
昭和九(1934)年は、また日本にとってターニングポイントとなった年で、12月に日本政府はワシントン・ロンドン軍縮条約を破棄している。
これを契機に日本は右傾化し、やがて排外主義的ナショナリズムと軍国主義が膨張し、国際社会の中で孤立化していった。核となったのが海軍の太平洋戦略だ。黒船が東京湾に入ってきたならどう防衛するのかという発想のもと、軍事費が増大した。1853年にペリー提督が日本に来た頃と同じ感性である。江戸時代には開国を選択したが、この時は攘夷思想が勝った。今でも何かと言うと、外圧は「黒船」と形容されることが多いが、当時、海軍の中で米国は黒船そのもの、仮想敵国となっていた。
しかし国内に不穏な空気はまだ漂っていなかった。国際的なビジットジャパンキャンペーンに合わせて、日本各地で観光キャンペーンが繰り広げられていた。
下田の黒船祭が開催されたのもそんな雰囲気に後押しされてのことである。そして驚くべきは、第一回黒船祭にグルー米国大使夫妻が訪れ、下田市内を歩いてパレードしていることだ。
ぼくはここに面白さを感じてしまうのだ。当時米国政府は日本政府の方向性(日本にとって米国が仮想敵国であるということ)を摑んでいたはずである。この時アメリカ政府当局者は、黒船祭に関わることで日本との外交チャンネルを作っておこうと考えたのではないか。だからこそあえて大使が一地方都市の祭に参加したのだ。どの国でも外交チャンネルを持つ。例えば日本と国交のない北朝鮮でも、いくつかの外交チャンネルは残しておくものなのである。
そして今でも黒船祭では、米国大使が来てオープンカーに乗って町をパレードしている(今年は新大使が着任しておらず、大使代理になる予定)。米海軍関係者も決まって幹部が参加する。伝え聞くところによれば、これほどもろ手を挙げて米軍及び米政府関係者が歓待される町もめずらしいとのことである。また、下田と姉妹都市の米国ニューポートで開かれる「ブラックシップフェスティバル」には在ボストン日本総領事が出席し、日本の外務省でもこの外交チャンネルを大切に取り扱っている。
今は日米関係の蜜月が続く。しかし関係が悪化した時にこそ「下田」が注目されるのではないか。「下田会談」が必要なときが来るかもしれないのだ。
黒船祭は、しかし外交チャンネルとしての姿を隠したまま、今年も一地方都市の祭として開催される。
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