小説を書く日々
先週、今週とずっとこもりっきりである。作家の実生活はきわめて地味だ。朝起きてコーヒーを飲んで食事して、肩ならしに近所で壁に目がけてキャッチボールを百球すると、書斎にこもる。
いまは長編小説の直しの作業をやっている。これが行きつ戻りつしながら、まるで険しい山を登るような作業だ。なぜなら技術的な問題が多いからである。
添乗員シリーズを出していたとき、
「これはエッセーですか? 小説ですか?」
とよく訊ねられた。
「そうですね。言うなれば物語です」
とぼくは答えていたのだが、今思えば、添乗員シリーズは、エッセー風の小説である。
これは本来奇妙だ。
なぜかというと、エッセーと小説は、作法的に相容れない部分があるためである。エッセーは作者の心情を吐露するもので、小説はウソをほんとに見せかけて書くものだ。これはこの前エッセー集を出版した浅田次郎が書いていた。
文体的にもエッセーは口語体に近くなり、小説は文語体をベースにしている。椎名誠のようなやわらくて読みやすい口語体を多用する小説を書く達人でも、文体をよく見てみると、文語的なフレームがしっかりしている。そんな点が人物の個性を際立たせ、物語にめりはりをつけるのである。
こういった基本的な作法を理解することもなく、ぼくは十年以上も本を書く仕事をしてきた。我ながら恐れ入るほどの無知さ加減にこの歳になってから直面し、文章と格闘する日々である。
ノンフィクションもエッセーとは違う。真実味に迫る作法でなければならない。多少砕けた点があっても構わないが、やはり多少にとどめたほうがいい。これは『日本は世界で第何位?』を書いていて教えられたことである。
午前中、部屋にこもって文章相手に呻吟し、昼食後、昼寝をしたり散歩に行ったり、サーフィンしたりとリラックスし、夕刻またパソコンに向かう。そして夜焼酎を飲んで食事をするともう眠くなる。
枕元にはメモがある。夜中に突然閃くことがあるのだ。必ず忘れてしまうが、メモを取っておくと、役に立つことも多い。それは明け方午前四時頃に現われる。
名付けて「文章は午前四時に生まれる」。
できればぐっすり朝まで眠っていたいが、昼寝をするせいで、起きてしまう。
今年はGW中もずっと仕事です。土曜日も仕事です。
でも不思議とイヤにはならない。かえって有難いとも思う。
ぼくにとっては小説は、書いている時がおもしろいのだ。



















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