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2009年4月24日 (金)

小説を書く日々

 先週、今週とずっとこもりっきりである。作家の実生活はきわめて地味だ。朝起きてコーヒーを飲んで食事して、肩ならしに近所で壁に目がけてキャッチボールを百球すると、書斎にこもる。

いまは長編小説の直しの作業をやっている。これが行きつ戻りつしながら、まるで険しい山を登るような作業だ。なぜなら技術的な問題が多いからである。

添乗員シリーズを出していたとき、

「これはエッセーですか? 小説ですか?」

 とよく訊ねられた。

「そうですね。言うなれば物語です」

 とぼくは答えていたのだが、今思えば、添乗員シリーズは、エッセー風の小説である。

 これは本来奇妙だ。

 なぜかというと、エッセーと小説は、作法的に相容れない部分があるためである。エッセーは作者の心情を吐露するもので、小説はウソをほんとに見せかけて書くものだ。これはこの前エッセー集を出版した浅田次郎が書いていた。

 文体的にもエッセーは口語体に近くなり、小説は文語体をベースにしている。椎名誠のようなやわらくて読みやすい口語体を多用する小説を書く達人でも、文体をよく見てみると、文語的なフレームがしっかりしている。そんな点が人物の個性を際立たせ、物語にめりはりをつけるのである。

 こういった基本的な作法を理解することもなく、ぼくは十年以上も本を書く仕事をしてきた。我ながら恐れ入るほどの無知さ加減にこの歳になってから直面し、文章と格闘する日々である。

 ノンフィクションもエッセーとは違う。真実味に迫る作法でなければならない。多少砕けた点があっても構わないが、やはり多少にとどめたほうがいい。これは『日本は世界で第何位?』を書いていて教えられたことである。

 午前中、部屋にこもって文章相手に呻吟し、昼食後、昼寝をしたり散歩に行ったり、サーフィンしたりとリラックスし、夕刻またパソコンに向かう。そして夜焼酎を飲んで食事をするともう眠くなる。

 枕元にはメモがある。夜中に突然閃くことがあるのだ。必ず忘れてしまうが、メモを取っておくと、役に立つことも多い。それは明け方午前四時頃に現われる。

 名付けて「文章は午前四時に生まれる」。

 できればぐっすり朝まで眠っていたいが、昼寝をするせいで、起きてしまう。

 今年はGW中もずっと仕事です。土曜日も仕事です。

 でも不思議とイヤにはならない。かえって有難いとも思う。

 ぼくにとっては小説は、書いている時がおもしろいのだ。

 

 

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2009年4月17日 (金)

江戸東京博物館と菊竹清訓

 先週は東京に行っており、更新できませんでした。

 打ち合わせの合間に江戸東京博物館に初めて行った。江戸のことを調べているので、行っておきたかったのだ。

それにしても両国駅のすぐ横にあるこの博物館、写真では知っていたものの、実物はやけにデカかった。まだホテルにチェックインする前だったので、荷物が重くてしょうがないのだが、それらしき荷物預け場所も見当たらない。ゆるやかに登る歩く歩道を進んでいくと、軽くサッカー場が入ってしまいそうな広さの空間に出た。切符売場は反対側だ。嫌がらせか! 

とぼとぼ歩いて切符売場で入場券を買い、すると次にはもう一度広場を横断して引き返しエスカレーターだ。まったく人をおちょ食っている。なぜにこうも無駄に歩くのか? そして延々と六階まで長すぎるエスカレーターで上がった。

93年、バブルの頃に作られたという。足が生えたような作りになっているので、風が吹くときは、広場は強風に見舞われるそうである。人工的に自然の猛威を感じられる仕掛けか?

6階の入場口に到着すると、あとは降りていきながら見学するようになっており、ここでもまた荷物が重い。トートバッグの手提げが肩に食い込む。再現した半分の長さの日本橋を渡り、江戸市街地の模型などを見学する。

ロシア人、フランス人、中国人の団体がガイドと一緒に見て回る。駕籠に乗れるコーナーがあり、乗ってみると狭かった。これで東海道を行き来したのでは、絶対腰が悪くなるはずだ。かの初代駐日公使ハリスも、駕籠の乗り心地の悪さを日記の中で訴えている。ハリスの気持ちがよくわかる。

重い荷物を持って見学しているので、ぼくの腰の痛みもどんどんひどくなっていく。

館内は、広大な空間が広がっていた。日本橋の下にあるのは歌舞伎の舞台だ。あと、原寸大の江戸時代の家屋の模型や縮小した千石船の模型もあった。歌川広重の『東海道五十三次』55枚の浮世絵をはじめて全部まとめて見た!

最後まで荷物を持ったまま見学をおえると、入った時とは別の階に出た。そこにはちゃんとロッカーもあり、正式な入場口になっているようだった。自動ドアから建物の外に出ると地下で、大きな駐車場に団体客のバスが数台停車していた。

そこまで来てはじめて気がついた。ゆるやかに登る歩く歩道を使ったせいでもう一つの入場口から入ってしまったのである。しかしふつう、建物内に入るとき、地上からいったん地下に入ったりしないよね。

なんかだまされた。腰が痛くて仕方がなかった。

怨むぞ、建築家!

ということで調べてみました。

この博物館は菊竹清訓(きくたけきよのり)の手によるものだった。菊竹氏の建築物で記憶に残っているのは、大阪万博のエキスポタワーと、上野不忍池の近くに建っているホテル・ソフィテル東京。いずれも縦長の塔に小屋がくっついたようなちょっと変なかたちの建物である。ことにソフィテル東京はいったい誰が建てたのか、ずっと気になっていたので、今回調べて溜飲を下げた。

しかしそれら二つと江戸東京博物館は、外観が明らかに違った。江戸東京博物館はいかにも「金を使ったぞー」といった感じなのである。姿はまるで相撲取りが、「はっけよい!」と腰を落として仕切っているようだ。

見れば見るほどユーモラスだが、強風が吹き、やたらにデカイ。さらに腰が痛くなるほど歩かされた。

だがあらためて思うに、個人的には、こういうものは嫌いではない……。思い切りがいいではないか。さすがバブル期に建てられただけのことはある。世界の巨大建築物は、いずれもバブルの時代に建てられ、散々な不評を呼び、ところが後世になってから、「すげえ!」と感心させられるものである。あまりせこくてみみっちいことばかりを言ってはいけません。

翌日は九段下に行った。ここには昭和館がある。ぼくが打ち合わせに行っている間、妻が入館してきたと言っていた。期せずして、これもまた菊竹氏の作品である。

こちらは皇居のお堀のすぐそばに、ひっそりと地味に建っている。

見たことはないものの、菊竹氏の作品には慰霊碑も多い。そんな静けさに連なる建物である。

江戸東京博物館では手塚治虫展が始まります。

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2009年4月 3日 (金)

春到来!

 山がすっかり春めいてきた。

 まるで順番を待っていたかのように、次々に色とりどりの桜が咲いてきたのだ。

 桜は百種類もあるといわれるが、大雑把に言って河津桜とソメイヨシノ、山桜くらいしかわからない。あと、このあたりでは緑色の桜も咲く。これは「御衣黄(ぎょいこう)」という名前で、ソメイヨシノの後に咲き始める。

 白いもの、ピンクがかったもの、赤の強いものなどが、咲いては散ってべつの桜が満開になっていくのを見ているのは楽しい。

 今年は例年になく三月下旬が寒かったので、ソメイヨシノでさえまだ五分咲きくらいだ。

 嵐もないので花持ちがよく、春らしい気候にもなって、気分がゆるゆるしてくる。

 東京にいた頃は、おもに愛でる桜はソメイヨシノであった。

 それがこちらに来てからは、二月の河津桜を筆頭に、いろいろと愉しませてもらっている。

 ただし花見は、まだ寒い二月、河津桜の下でやってしまうため、四月にソメイヨシノの下でやったことがない。

 先週は伊豆高原の桜のトンネルをドライブして気持ちがよかった。

 まだ咲き初めくらいだったので、人出も少なく渋滞も短くて助かった。

 しかし今週くらいは、もうかなりの渋滞にみまわれるだろう。

 そこで今週末我が家では、下田に来てから初めての四月の花見を計画している。場所は松崎町の那賀川沿いだ。数キロに渡って咲く桜はそれは見事の一語に尽きる。

 弁当はバリで買ってきたピリ辛ソースにチキンを漬け込み持っていく。

 ついでに講演会のポスターも持参して、これからは行くところ行くところで営業である。

 そうなんです。

旅行人のHPの告知板にもあるとおり

http://www.ryokojin.co.jp/3f/index.html

講演会を開催します。

昨年このコラムで講演会のことを書いたら、わざわざ渋谷から来てくださった男性がいました。その節は遠いところをありがとう。

今回は、世界の観光にまつわるお話です。

ぼくならではの経験と豊富なデータも駆使して、おもしろくて喜んでもらえる話にしようと、このところ、鋭意原稿を書いているところです。

抜粋だけ、会場となる伊豆長岡ホテル天坊のM社長に話したら、それは好評でした。

乞うご期待!

遅れている出版のほうも、春になって徐々に動き出すと思います。

こちらのほうもいましばらくお待ちください。

それにしても今年の冬は、やけに重たい冬でした。なんだか精神的に参りました。

春到来で気分一新!

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