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2009年3月27日 (金)

町長選挙

 なんだか寒の戻りで嫌である。

 せっかく暖かくなったと喜んでいたらこのざまだ。

 もう寒くて、精神的にも萎えてくる。

 まったくもって、寒いのは苦手な体質で、寒くても、極寒の地でも、たとえばこれが旅行中なら、別にどうってことがないのに、日常生活をしているのが嫌になる。

 考えてみれば、この三ヶ月、バリに行った以外はほとんど家にいるではないか。これではいけない。

 そこで明日はちょっと伊豆高原に行くことにした。妻の友人の画家が展覧会に出品しているのだ。

日曜には、今度南伊豆町長選挙に立候補することになった陶芸家の塚本先生の事務所にでも行ってみようと思う。

なんでも塚本先生は、南伊豆の風車建設に反対するために立候補するらしい。それにしても、よく立候補を決意したなと思ったら、新聞によれば、これまでも塚本先生は何度か町長選挙や県会議員選挙に立候補し、落選しているとのことである。

南伊豆に住む友人達の中にも建設反対派は多いから、きっとみんな事務所で溜まっているにちがいない。このところあまり会ってなかったので、久しぶりにみんなの顔も見てみたい。

ただし、ぼくは下田市民であって、南伊豆町民ではない。だから選挙権はない。しかし風車の建設にはぼくも反対である。

CO2削減に役立つ風力発電が、自然環境を破壊するのだ。低周波被害の報告も伝えられている。

能天気に風車建設を推進しているメディアもあって、腹が立つことも多い。

風車の近くに暮らす当事者たちにとっては、CO2削減よりも風車が建つことのほうが大問題である。何しろ風車に寿命は17年と言われ、寿命後の対策は何も考えられていないのである。

果たして町長選挙の行方はどうなるか?

現職候補のみの無風選挙と言われていたが、盛り上がりを見せるのだろう?

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2009年3月20日 (金)

Sさんのおかげで

 かれこれ十年以上も作家生活を続けているのだが、この稼業、どうしたってヒマな時がある。それが編集者に原稿を預けているときだ。

 体力が有り余っているようならば、次の作品にかかればいいが、つい一月末まで十三ヶ月間、とにかくずっと調べたり、書いたりしていた。だからどうにも書く体力がない。それに無理やりでも何かを仕上げてくれという注文もない。

 こんなところがたいして売れない作家らしいところで、中途半端な時間が過ぎていく。

 もちろん次回作の準備はしているし、その先に、まだしばらくは時間がかかりそうな時代劇もある。ようやく江戸時代はどんな時代だったのかわかりはじめたばかりで、時代劇はある程度知識の習得が必要である。

 ただ同じ勉強ばかりをしていると、疲れてくる。

 そこでつい、別のことを考えてしまうのだった。

 編集者のところから原稿が進まなければ、収入も先送りになってくる。月給がないものだから、その辺のやりくりは難しい。何本も連載を抱えていたりすればいいのだが、そこまでの売れっ子ではない。またそうそう毎月印税が入ってくるようなベストセラーもない。

 加えて本は、作家の経済的事情に合わせて出版されることなどあるわけもなく、出版社の都合で出るものである。

 いつになるかわからない印税と、多少の原稿料などの収入を見比べながら、徐々に暮らしは追い込まれていく。

 すると人間どうなるか?

 先週の話ではないが、ぼくが過呼吸でパニック症候群みたいになったのは、この職業のせいではないかと思えるほどだ。

 それはともかく、いろいろ企画を考えたのである。

 以前なら、この季節だ。ヒマに乗じてサーフィンだ、山菜採りだと遊んでいたにちがいない。

しかしこの頃、無性に長旅をしたくなり、となると旅のためには稼ぎたくなる。

 ネタが集まり次第、さる雑誌でひっそりと短期集中連載をやろう。これは編集長との話し合いいかんによるが、掲載される公算は高い。

 そして書く以外にも、講演会をしてみたい。昨年は二件あったが、できれば日本全国を歩いてみたい。そういった方面に強い友人に、早速作った講演会用営業プロフィールを送っておいた。先月、さるホテルの社長からも、是非うちでも講演会をと言ってもらっていたので、企画書を書いて出し、電話で聞いてみたら、大筋やろうという方向である。

 また妻が、以前からスケッチツアーをやりたいと言っていたので、公募してみようと思い立ち、これも付き合いのある旅行会社に打診をしたら、ではやりましょうという話になった。

 できることなら、できる限りは何でもやりたい。

 いったいどれだけこれまでノウノウと暮らしてきたのだろうか?

 こんな気持ちになったのは、先月の末にSさんが我が家に遊びに来たからである。

 今月末から彼女はクロアチアのザグレブに赴任する。

 そんな彼女が、積極的にいろいろな人たちとコミュニケーションをし、新しい世界を広げていこうと努力している姿を見ていたら、ぼくも触発されたのだった。

 作家という才能の世界で生きてきたが、実は本当は、ぼく自身才能なんてたいしてなくて、人間関係で生まれた仕事も多かったのではなかろうか?

 つい、そんな風にも考えたのである。

 すると、そのほうが納得できたりもした。

 いずれにしても、何か正式に決まりましたら報告します。

 今年はツアーと講演会もやります。

 どうぞよろしく!

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2009年3月13日 (金)

もっとも楽しみな朝

 それほど花粉症がひどいほうだとは思わないが、何かの拍子でくしゃみが止まらなくなることがある。それもたいがい夜中から明け方にかけてだ。

 今年はとくにいろいろと悩んでいたので、くしゃみが出始めると妙に頭が回転し、どんな作品を書こうか、いや文章だけでやっていくのも堅苦しいので、こんなことをやろうとかあんなことをやろうとか考え出して、くしゃみをしながら頭のほうまで止まらなくなることがあった。

 とくにバリに行く前夜はひどかった。

 午前一時半から朝の六時まで、くしゃみは止まらず、帰ってからの企画がまるで入道雲みたいにもくもく湧き出してきた。目を瞑っても眠れず、くしゃみは出続け、鼻をかみながら、起きてアイデアのメモを取るということを繰り返していた。

 すでに旅行準備はできていたので、六時半には起きて着替えて朝食を食べ、予定通りに八時半には家を出た。

 そうして下田駅で好物の下田弁当とチューハイを買い、特急踊り子号に乗り込んだ。

品川で成田エキスプレスを乗り継ぐ予定である。値段は多少高くなるものの、もっとも楽な交通手段を選んだ。

 ところが南伊東に近づくあたりから、急に頭がクラクラしてきた。頭の中がまるでメリーゴーランドのように回り出したのである。南伊東のあたりは線路が急カーブしているが、生まれて初めて列車に酔ったようだった。

 しかしまっすぐな東海道線に入っても、クラクラはなかなかよくならなかった。十二時を過ぎても食欲がないばかりか気持ちが悪い。食いしん坊のぼくが、食べられないなんて信じられない事態である。過労や風邪で寝込んで、いつも食い意地だけは張っているのだ。

 このままでは、バリ行きの飛行機に乗れないかもしれない。そう考えるほど体調は急変していた。成田で医者に診てもらおうか……。

 隣の妻に相談すると、大きくゆっくり深呼吸しろと言う。

たしかに、海に素潜りした時や、サーフィンで大波に揉まれた時に、たまに過呼吸になっていた。その症状のひどいのに似ている。

ぼくは弁当にもほとんど手を付けず、成田空港までの時間を目を瞑って腹式呼吸し続けた。

おかげで成田に到着したころにはケロッとしていた。

もちろん、遅ればせながら下田弁当も平らげた。しかしチューハイだけはまだ飲む気になれずに、スーツケースにしまった。

調べてみると、過呼吸はふつうの生活をしていても、極度のストレスや不安が長い時間続くと、あらわれることがあるそうだ。

外見からはまったく理解されないが、ぼくはこれでも神経が細く、悲観主義的である。とくにこのところ仕事のことで悩んでいた。

気が小さいくせに何事にも楽観的な妻とは対照的だ。

だからなのか、近ごろは、ことさらに土曜日の朝が楽しみである。

平日も朝のワイドショーなどまったく観なくなり、NHKFMでクラシック音楽を聴いている。そのほうが気持ちが安らぐのだ。ただし笑福亭笑瓶がDJをつとめる月曜日だけは聴かない。朝からあのガラガラ声は気分が悪いし、笑いなどはいらない。あの声で美しい音楽を紹介されても、足を引っ張られるばかりだ。まったくどんな人選をしているんだか……

それに比べれば、土曜日は段違いだ!

7:15から9:00まではピーター・バラカンの『ウィークエンド・サンシャイン』を聴き、その後10:57まではゴンチチの『世界快適音楽セレクション』を聴く。

ジャンルを問わずにさまざまな音楽を静かに聴くことで、一週間の緊張や疲れがほぐされ、豊かな気持ちにしてくれる。

知的な雰囲気を漂わすピーター・バラカンと、弛み感全快のゴンチチのコントラストもなおいい。

明日は一週間でもっとも楽しみな「朝」がやってくる。

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2009年3月 6日 (金)

懐かしのバリ2009

 バリにいたのは1988年のことである。

 インドネシアを縦断旅行中だったのだが、気の合う旅仲間と再会し、一ヶ月も逗留した。

 毎日屋台でナシチャンプル(ぶっかけご飯)かインスタントラーメンを啜り、友人たちと日がな一日海で過ごした。夕方いったんロスメン(安宿)に戻ってシャワーを浴びると、夜は町をぶらつき、馴染みの屋台でミゴリン(やきそば)やタミゴリン(かたやきそば)、アヤムゴリン(フライドチキン)などを食べ、十時頃まで町をぶらいついたあと、『ガドガド』という名前のディスコに行った。

ガドガドは、半分が板敷きのステージとなっており、半分が砂浜だった。そこで月明かりの下踊るのである。閉店の午前一時過ぎまで踊り、それから友人たちと三人で、海岸をとぼとぼ二時間もかけて歩いて帰った。

同じような毎日だったが、楽しかった。

ジャワやマドゥラ、スラヴェシなどから出稼ぎに来ていた娼婦たちは、連れみたいなものだったので、男女の関係になどならないでも、いつも一緒にいた。

真っ黒に日焼けしたぼくたちは、地元のビーチボーイたちよりたちの悪いゴロツキのようなムードをかもしだしていたにちがいない。

 今回のバリは、それ以来のことである。

ぼくもすっかり大人になった。

しかも期間は三泊五日と短い。

当時のように遊ぶつもりもなかった。

サーフィンは下田でもできるし、妻がショッピングとエステ計画を念入りに練っていたので、彼女にしたがい、町歩きすることにしていたのだ。

 かつて長期に泊まったロスメン(安宿)はホテルに変わり、アヤムゴリン(フライドチキン)のうまかった屋台もなくなっていた。しかし観光地らしく、相変わらず地元の人が集まるようなおいしい食堂はほとんどなく、あるのは旅行者用の店ばかりであった。

 そしてカフェやバー、レストラン、旅行会社だけでなく、ブティック、エステ、マッサージなどがやたらに増えていた。

 オージーが真夜中に酔っ払って大声で叫び、日本人の学生たちが大挙してきているのは変わらない。それに物価も当時と同じくやたらに安い。清潔な店でしっかりとマッサージしてもらっても一時間で75000ルピア(625円)だったし、木彫りの椅子は12000ルピア(約千円)で買った。

 初日に、ぼくは妻のショッピングのお供をしながら、レギャンからクタの一帯をかなり歩き潰した。朝八時から夜十時まで、途中エステの一時間や食事の時間、プールで泳いだ時間を差し引いても、軽く十時間は歩き通しだった。

 雨季で涼しいとは言っても、そこは南国だ。一日中滝のような汗が流れ続けて気持ちよかった。

 二日目は車でウブドに行き、三日目はバリ衣装を着て記念撮影したあとデンパサールの市場に行った。

 三日間とも体力の限界まで歩き続けた。

 そういう意味では旅らしい、ゆっくりとした、まったりとした時間などはこれっぽっちもなかったが、思ったことは、それでもやはり旅には出るべきだということである。

 たとえ短期でもあっても気分が清々する。

 出発するまで考えていた本のことや新しい企画のことなどぶっ飛んで、空っぽになった。

 旅はいいなあ、やっぱりいいなあ。

 次回はウブドーに泊まろうねと妻とは話し合っている。

 そうそう、懐かしのディスコ『ガドガド』は行ってみたら、高級レストランになっていたものの、レイアウトは当時の面影を残していた。

 最後の夜はその店のテラス席で、明かりに照らされた崩れる波を見ながらビールを飲んだ。

 いつしかぼくの口からは、かつて慣れ親しんだインドネシア語がポロポロと口からこぼれるように出た。

 妻がホテルに帰ると、ぼくの片言のインドネシア語を面白がって、ホテルのボーイに注文に行った。

「モスキートがバニャバニャで、ティダバグースだよ」

 するとボーイは焦って蚊取り線香を用意してくれた。

 「バニャバニャ」とは「たくさん」、ティダは否定形、「バグース」は「グッド」の意味である。

 つまり、「蚊がたくさんいるからよくない」という意味だ。

 「ティダバグース」は乱発してはならないが、ここぞという時力を発揮する。

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