バリにいたのは1988年のことである。
インドネシアを縦断旅行中だったのだが、気の合う旅仲間と再会し、一ヶ月も逗留した。
毎日屋台でナシチャンプル(ぶっかけご飯)かインスタントラーメンを啜り、友人たちと日がな一日海で過ごした。夕方いったんロスメン(安宿)に戻ってシャワーを浴びると、夜は町をぶらつき、馴染みの屋台でミゴリン(やきそば)やタミゴリン(かたやきそば)、アヤムゴリン(フライドチキン)などを食べ、十時頃まで町をぶらいついたあと、『ガドガド』という名前のディスコに行った。
ガドガドは、半分が板敷きのステージとなっており、半分が砂浜だった。そこで月明かりの下踊るのである。閉店の午前一時過ぎまで踊り、それから友人たちと三人で、海岸をとぼとぼ二時間もかけて歩いて帰った。
同じような毎日だったが、楽しかった。
ジャワやマドゥラ、スラヴェシなどから出稼ぎに来ていた娼婦たちは、連れみたいなものだったので、男女の関係になどならないでも、いつも一緒にいた。
真っ黒に日焼けしたぼくたちは、地元のビーチボーイたちよりたちの悪いゴロツキのようなムードをかもしだしていたにちがいない。
今回のバリは、それ以来のことである。
ぼくもすっかり大人になった。
しかも期間は三泊五日と短い。
当時のように遊ぶつもりもなかった。
サーフィンは下田でもできるし、妻がショッピングとエステ計画を念入りに練っていたので、彼女にしたがい、町歩きすることにしていたのだ。
かつて長期に泊まったロスメン(安宿)はホテルに変わり、アヤムゴリン(フライドチキン)のうまかった屋台もなくなっていた。しかし観光地らしく、相変わらず地元の人が集まるようなおいしい食堂はほとんどなく、あるのは旅行者用の店ばかりであった。
そしてカフェやバー、レストラン、旅行会社だけでなく、ブティック、エステ、マッサージなどがやたらに増えていた。
オージーが真夜中に酔っ払って大声で叫び、日本人の学生たちが大挙してきているのは変わらない。それに物価も当時と同じくやたらに安い。清潔な店でしっかりとマッサージしてもらっても一時間で75000ルピア(625円)だったし、木彫りの椅子は12000ルピア(約千円)で買った。
初日に、ぼくは妻のショッピングのお供をしながら、レギャンからクタの一帯をかなり歩き潰した。朝八時から夜十時まで、途中エステの一時間や食事の時間、プールで泳いだ時間を差し引いても、軽く十時間は歩き通しだった。
雨季で涼しいとは言っても、そこは南国だ。一日中滝のような汗が流れ続けて気持ちよかった。
二日目は車でウブドに行き、三日目はバリ衣装を着て記念撮影したあとデンパサールの市場に行った。
三日間とも体力の限界まで歩き続けた。
そういう意味では旅らしい、ゆっくりとした、まったりとした時間などはこれっぽっちもなかったが、思ったことは、それでもやはり旅には出るべきだということである。
たとえ短期でもあっても気分が清々する。
出発するまで考えていた本のことや新しい企画のことなどぶっ飛んで、空っぽになった。
旅はいいなあ、やっぱりいいなあ。
次回はウブドーに泊まろうねと妻とは話し合っている。
そうそう、懐かしのディスコ『ガドガド』は行ってみたら、高級レストランになっていたものの、レイアウトは当時の面影を残していた。
最後の夜はその店のテラス席で、明かりに照らされた崩れる波を見ながらビールを飲んだ。
いつしかぼくの口からは、かつて慣れ親しんだインドネシア語がポロポロと口からこぼれるように出た。
妻がホテルに帰ると、ぼくの片言のインドネシア語を面白がって、ホテルのボーイに注文に行った。
「モスキートがバニャバニャで、ティダバグースだよ」
するとボーイは焦って蚊取り線香を用意してくれた。
「バニャバニャ」とは「たくさん」、ティダは否定形、「バグース」は「グッド」の意味である。
つまり、「蚊がたくさんいるからよくない」という意味だ。
「ティダバグース」は乱発してはならないが、ここぞという時力を発揮する。
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