2月7日が何の日かご存知の方はどれくらいいるだろうか?
正直、ぼくもよく知らなかった。
ところが昨年来、黒船や開国にまつわることを調べ始めてすんなり理解するようになった。
なにしろぼくは下田に住んでいるのだ。黒船祭のある五月はアメリカ国旗が揺れる町中も、一月から二月にかけてはロシア国旗がはためいている。
というのも、1855年2月7日下田の長楽寺において日魯通交条約が結ばれ、北方四島が日本の領土として認められたからである。
1981年に日本政府は、この日を「北方領土の日」と定め、以来下田でもロシアとの交流が行われている。今年は2月15日にオロシア祭があって、ロシア小学校の生徒たち、横須賀基地のアメリカ人の子供たち、それに下田の子供たちが合唱を披露することになっている。
今日はマラソン大会だ。29回目を数える。
するとこの日にあわせて、今年も北海道の根室市より冷凍のサケが60本も送られてきた。
北方四島は根室市の管轄になるのだ。かつての島民も多く住んでいる。彼らにとって北方四島返還は悲願である。
しかし北方領土返還運動は、鈴木宗男議員や佐藤優外務省職員が逮捕されて以来、すっかり世論が盛り上がらない。
ただしこうして地道に活動は続いているのだ。
送られたサケは、マラソン大会の上位入賞者に賞品として配られるほか、応援に駆けつけた人たちも含めて、参加者に石狩鍋として振る舞われていた。
日魯通交条約が締結されるまでは、日本側、ロシア側双方とも大変なことになっていた。
前年の暮れに安政東海大地震、安政南海大地震が二日間に渡って発生し、下田の町が一瞬にして津波にさらわれてしまったのである。948軒あった家々のうち、927軒が流出、122名の死者が出た。そのとき、ロシア船ディアナ号も甚大な被害を受け、修理を余儀なくされた。
しかし修理に運ぶ際に沈没してしまい、ロシアに帰る船がない。
そこで西伊豆の戸田でロシア人の指示のもと、日本で初の洋式帆船が建造されたのである。
この時の船大工の中の一人が、のちにオランダに留学し、横須賀海軍工廠初代工場長になった上田寅吉だった。
また戸田で造られた船がヨーロッパを回ってロシアに帰還中、イギリス船に捕縛され、その時ロシア人船員からイギリス人の役人に「津波」という日本語がそのまま伝わったとされている。これが世界共通語「TSUNAMI」の誕生である。
今週の前半、取材方々戸田に行ってきた。戸田と書いて「へた」と読む。
天然の良港だ。田舎らしく東伊豆とはまた違ったゆったりした空気に包まれていた。戸田名物のタカアシガニが何匹も浜に打ち上げられていた。
西伊豆でもっとも風光明媚な町だと思う。はじめてゆっくりと散策して、とても気に入った。
我が家の近所では、そろそろ河津桜が咲き始めている。
今週末から河津町と南伊豆町では桜祭だ。
これで当分遠出はできない。
それくらい観光客で溢れる季節がやってきた。ひどい日などは、河津町から修善寺まで35キロも渋滞になる。
なにしろ一ヶ月で百万人以上の観光客が訪れるのだ。
これで静かな冬は、気分的に終わりを告げる。
早くも観光シーズンの到来である。
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