« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月20日 (金)

すっきり!

 ようやく左膝の痛みが治まってきた。

 三週間前、さるホテル主催のパーティーに呼んでいただき、美食と美酒に酔ったついでに思いきり飛び跳ねて踊ったせいで、筋を痛めてしまったのである。

 バカな話だが、それでも今年からはじめたランニングは休みたくなかった。

 走ると頭がすっきりするし、酒を飲むにも、カロリーなどあまり気にしなくてもいいような気がして、思いきり飲めるので、気分爽快だったのだ。

 するとこのところ、昨年来の便秘が、ヨーグルトを食べたり、牛乳を飲みはじめた効果もあってか、よくなって、昔みたいに快便の日々である。

 そうしてついには、膝の痛みもなくなって、春に向けて体調がよくなったことがうれしい。

 冬はサーフィンができないので、プロ野球のキャンプみたいな気持ちで走っているのだが、体ができてくるのはシーズンインを一ヵ月後に控えて、なかなかいいものである。

 そして来週は、二十数年ぶりにバリ島に行ってくる。

 仕事も一段落したので、完全な休暇だ。

 四月以降なら燃油サーチャージも無料になりそうだが、今はまだである。でもツアーなら格安のものが出ていたので、軽く行ってこようとなったのである。

 海で遊んで町をぶらついてきます。

 というわけで、来週はお休み。

 次回は3月6日です。

| | コメント (4)

2009年2月13日 (金)

田舎の楽しみ

 先週の土曜日、翌日、我が家で新年会をやることになっていたので、勇んで釣りに行ってきた。気温も暖かく風もない。絶好の釣り日和である。

 慣れ親しんでいる釣り場は、渓谷を二十分ほど歩いて下った先にある磯で、到着するとすでに顔なじみの老夫婦がやってきていた。

 岩場の先に立ち、ほんのすぐそこに糸を垂らした。

 魚の当たりをたしかめつつ、周囲を眺め回す。

 ふだん散歩やサーフィンしているビーチが見える。遠くには須崎半島と大島だ。海原は青く、空も澄んでいる。

 釣りもいいが、景色がいいのがこの磯の特徴である。

 胸がすくとは、こういう景色の中にいることを言うにちがいない。

 これで魚がバンバン釣れれば言うことないが、少々の当たりはあるものの、なかなか釣れない。

 三十分ほどで小さいメバルが食いついた。

 メバル狙いだったので、どうだ、次はもっと大物が釣れるだろうかと思っていたらなんのことはない。老夫婦にまずまずの大きさのカワハギが一尾来たのみで、しまいに当たりすらなくなった。

 昼になり、弁当も持ってきてなかったので、家路につくことにした。

 すると老夫婦のじいさんのほうが言った。

「なんだ、もう帰るのか?」

「ええ」

「あきらめるのか?」

「ええ、まあ……」

 人間あきらめも大切である。

 夢はかなうとがんばるのもいいが、かなわぬ夢もあるのだ。

 水温はすでに十五度に達している。

 十五度は、ちょうど人間がコートを着るくらいの気温らしいが、魚が活発化する水温でもある。しかしまだ魚は、動き出すのにはちょっと早いと感じているのかもしれない。

 今月中はまだダメかなと思っていたら、先ほど近所の友人がイワシの入れ食いだったと言って、大ぶりなイワシを十尾も持ってきてくれた。

 シャブシャブにしようと思っていた夕食を急遽変更である。

 イワシの刺身とフライに、つみれ汁。明日は煮付けにしよう。ついでに大きなナマコももらったので、こちらは酢の物だ。

 先だってから、フキノトウをもらったり、イノシシの肉をもらったり、鹿の肉をもらったりしている。

 田舎ならではの楽しみである。

| | コメント (0)

2009年2月 6日 (金)

2月7日は何の日?

 2月7日が何の日かご存知の方はどれくらいいるだろうか?

 正直、ぼくもよく知らなかった。

 ところが昨年来、黒船や開国にまつわることを調べ始めてすんなり理解するようになった。

 なにしろぼくは下田に住んでいるのだ。黒船祭のある五月はアメリカ国旗が揺れる町中も、一月から二月にかけてはロシア国旗がはためいている。

 というのも、1855年2月7日下田の長楽寺において日魯通交条約が結ばれ、北方四島が日本の領土として認められたからである。

 1981年に日本政府は、この日を「北方領土の日」と定め、以来下田でもロシアとの交流が行われている。今年は2月15日にオロシア祭があって、ロシア小学校の生徒たち、横須賀基地のアメリカ人の子供たち、それに下田の子供たちが合唱を披露することになっている。

 今日はマラソン大会だ。29回目を数える。

 するとこの日にあわせて、今年も北海道の根室市より冷凍のサケが60本も送られてきた。

 北方四島は根室市の管轄になるのだ。かつての島民も多く住んでいる。彼らにとって北方四島返還は悲願である。

 しかし北方領土返還運動は、鈴木宗男議員や佐藤優外務省職員が逮捕されて以来、すっかり世論が盛り上がらない。

ただしこうして地道に活動は続いているのだ。

 送られたサケは、マラソン大会の上位入賞者に賞品として配られるほか、応援に駆けつけた人たちも含めて、参加者に石狩鍋として振る舞われていた。

 日魯通交条約が締結されるまでは、日本側、ロシア側双方とも大変なことになっていた。

 前年の暮れに安政東海大地震、安政南海大地震が二日間に渡って発生し、下田の町が一瞬にして津波にさらわれてしまったのである。948軒あった家々のうち、927軒が流出、122名の死者が出た。そのとき、ロシア船ディアナ号も甚大な被害を受け、修理を余儀なくされた。

 しかし修理に運ぶ際に沈没してしまい、ロシアに帰る船がない。

 そこで西伊豆の戸田でロシア人の指示のもと、日本で初の洋式帆船が建造されたのである。

 この時の船大工の中の一人が、のちにオランダに留学し、横須賀海軍工廠初代工場長になった上田寅吉だった。

 また戸田で造られた船がヨーロッパを回ってロシアに帰還中、イギリス船に捕縛され、その時ロシア人船員からイギリス人の役人に「津波」という日本語がそのまま伝わったとされている。これが世界共通語「TSUNAMI」の誕生である。

 今週の前半、取材方々戸田に行ってきた。戸田と書いて「へた」と読む。

 天然の良港だ。田舎らしく東伊豆とはまた違ったゆったりした空気に包まれていた。戸田名物のタカアシガニが何匹も浜に打ち上げられていた。

 西伊豆でもっとも風光明媚な町だと思う。はじめてゆっくりと散策して、とても気に入った。

 我が家の近所では、そろそろ河津桜が咲き始めている。

 今週末から河津町と南伊豆町では桜祭だ。

 これで当分遠出はできない。

 それくらい観光客で溢れる季節がやってきた。ひどい日などは、河津町から修善寺まで35キロも渋滞になる。

 なにしろ一ヶ月で百万人以上の観光客が訪れるのだ。

 これで静かな冬は、気分的に終わりを告げる。

早くも観光シーズンの到来である。

| | コメント (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »