« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月30日 (金)

「誰も国境を知らない」

 鳥取県のかに籠漁船がロシア国境警備局に拿捕された。

ロシアの排他的経済水域で操業していたと見なされたからである。排他的経済水域とは、経済的な主権が及ぶ水域のことで、ウィキペディアによれば、国土面積では世界で60位の日本も、排他的経済水域を含めれば世界第9位の面積を持つ大国になる。

 さらにロシアとの関係では、北方四島との交流事業の一環として行われてきたビザなし交流が危機に瀕している。

というのも、支援物資を持参して国後島を訪れた外務省職員に対して、現地のロシア当局が出入国カードの提出を求めてきたからだ。

これに対して、外務省職員は提出を拒否し、今後両国間で話し合いが行われることになっている。

ふつうに考えれば、ロシア入国にはビザが必要である。

ところが北方四島に関しては、日本政府は日本領であるとかねてより主張している。つまりはロシアに占領されているというわけで、だからこそビザなし交流ならば、日本政府の立場を曲げることなく交流できていたのだ。

加えて日本政府では、こういった北方領土の現状から、一般国民に対しても、ロシアビザを取得した上での北方四島旅行を控えるように言ってきた。恐いのは、すでに占領されている四島に、既成事実を積み上げられていくことである。日本人がロシアビザで北方四島を訪れたなら、日本人自らがロシア領だと認めることになってしまうからである。

話が長くなったが、こんな「国境」の実情を、西牟田靖著『誰も国境を知らない』(情報センター出版局)ではじめて知った。

昨秋出版されたのだが、なかなか読む時間が取れずに、今週やっと読了したのだ。

西牟田君は、前作『僕の見た「大日本帝国」』で、大日本帝国の「かたち」がどんなだったかアジア各地を原付バイクで旅をして書いている。アジア各地に残った鳥居に、なるほど大日本帝国は、こんなところにまで及んでいたのかととても強い印象を残した。

そして膨張した「大日本帝国」は、第二次大戦に敗れて日本となり、国土も収縮した。

では現在の日本は、どんな「かたち」になったのか?

そんな素朴な疑問が、今回の本を書くきっかけになったそうである。

そこで彼は、日本の隅に位置する島々を訪れた。北方領土や現在韓国が実効支配している竹島、沖ノ島やいまや一般住民のいない硫黄島、小笠原島、与那国島、中国との軋轢がある尖閣諸島などだ。

ところが行けども行けども、一向に国境は見えてこないのだった。

それもそのはず、なぜなら日本の国境はすべて海の上にあるからだ。

大陸の国々を旅すると目にする、鉄条網の敷かれた国境など金輪際存在しない。

国境は概念としてはわかるが、目に見えないのが日本の実体で、つまりは「誰も国境を知らない」となってしまうのだった。

海の国境は、陸地で暮らす人類にとっては概念を超えることがない。しかしそこに経済的排他水域というものが入り込んできて、はじめて大切なものだと知る。魚やエネルギーなどそこには人類にとって必要な資源が眠っているからである。

そんな日本の国境について考えていたら、はるか遠く中東のガザからジャーナリストの常岡浩介が自身のブログでおもしろいことを書いていた。

http://www2.diary.ne.jp/user/61383/

なんと常岡は、エジプト側から国境の下に掘られたトンネルをくぐってガザに行ってきたと報告しているのである。

国境って、トンネルをくぐって行き来できるものだったのか?!

そのトンネルから、武器がパレスチナのハマスに渡った。そのことを理由にイスラエルはガザを空爆し、千人以上の犠牲者を出した。

日本の国境とパレスチナの国境を見比べてみると、まったく別物にちがいはないが、どちらの国境もややこしいのは同じだと思った。

| | コメント (0)

2009年1月23日 (金)

充電

 夏から書きはじめた原稿がようやくおわった。

 先週も一本原稿を出しおわったところで、今週もまた一本先ほどメールで編集者に送ったところだ。

 これで息を詰めていた気分からようやく解放される。

 しぜんと顔がほころんでくる。

 しかしこの前、直木賞を獲った天童荒太氏はすごい。七年もかけて『悼む人』を書いた。それも日々亡くなった人々に思いを馳せて、主人公と同様三年間も現場を歩き続けてノートを取ったというのだ。

 朝日新聞のインタビューではまるで修行僧のようだと表現されていたが、たった五ヶ月毎日原稿と向き合ってきただけでヘトヘトになっているぼくは、いったいなんなのかという思いがしたものだ。

 ぼくには到底天童さんのようなことはできないし、彼の小説は苦手な部類に入る。

 ぼくの場合は、軽やかに、楽しんで読んでもらえるような作品が書ければいいのだ。

 今回の二作品がいつ出版されるか未定だが、どうぞお楽しみに。

 来週からは新作の下調べが始まる。

 ほんの束の間、長編の原稿と向き合うことはない。

 去年の今頃から一年間ずっと忙しかったので、ようやく充電である。

| | コメント (0)

2009年1月16日 (金)

下田街道ハイキング

 日曜日、弁当を持って山歩きをしてきた。

 河津七滝まで車で行って、駐車すると、バスで天城山中の旧大川端キャンプ場で降りた。そのあたりは何度か歩いたことがある道で、『伊豆の踊り子』で有名な旧天城トンネルなどに続いている。

 しかし今回は、これまで歩いてなかった旧天城峠を通って河津七滝に出るルートを行くことにしていた。いわゆる下田街道だ。

 というのは、この道はかつて吉田松陰が黒船に密航を企て時に通った道であり、また初代駐日アメリカ公使タウンゼント・ハリスが日米通商条約を結ぶために江戸に上った道なのだ。

 いったい彼らはどんな気持ちで歩いたのだろう。

 本人になったつもりで歩こうと考えたのである。

 渓流沿いの道を行く。ところどころにネットで侵入防止をしているわさび田がある。イチョウや桜などのほとんどの木々は葉を落としているが、ブナと杉は葉をつけている。

 きっと吉田松陰は、期待と不安を交錯させながらこの峠を登ったのだろう。ハリスは籠に揺られて下ったが窮屈で仕方なく、馬に乗るか自分で歩きたかったと書き残している。

 道は思った以上に広かった。車が一台通れるくらいだ。ところどころで土砂が崩れ、杉の気が根っ子からひっくり返っていたりした。ぼくはヒマラヤを思い出していた。

小一時間ほども登っていくと左手に、木の間からではあるが視界が開けた。小さな平地と集落が見える。どこかな。きっと西伊豆だなと思ってさらに先に進むと、行き止まりになっていた。

妻が磁石を取り出した。

「こっちは北よ」

 南に向っているはずが、どうして北になっているのか?

 ぼくはこのところ、道を間違えてばかりいる。年末の忘年会でも二度も訪れたことがあるKさん宅に、反対方向に歩いてしまい三度間違え、結局タクシーを使ったところだ。

 そこで妻は用心して、今回のハイキングに磁石を持ってきていたのである。

 仕方なく来た道を戻った。戻るのは本意ではないがここは山中である。間違ったとわかったら、正しい道まで戻らなければ遭難してしまう。

 三十分かけて戻ると、ようやくルートに出た。旧天城峠へ向う道のほうが狭くて見落としてしまっていたのだ。

 それから沢沿いに登った。道幅はせいぜい一メートルである。やがて沢から離れて、急坂に作られた階段を歩いていくようになる。

 ようやく旧天城峠に到着だ。標高815メートル。二本杉峠の別名があるとおり、日本の杉の大木が青い空に向ってまっすぐに生えていた。

あたりには白い雪が残っている。杉と同じくらい元気に生えているのが、つるつるの赤銅色の幹をしたヒメシャラだ。

 弁当を食べるが、風が強く、寒くていられない。

 食べ終わってすぐに下ることにした。

 すると十五分も下ると、南向きのぽかぽかしたところに、旧茶屋跡があった。そりゃそうだ。茶屋くらいあるだろう。それもさすがにいい場所を確保している。

 きっとここで松蔭やハリスも休憩したにちがいない。

 急坂を降りきると、林道に出くわした。林道を少し歩いて、先を歩くぼくを妻が呼び止めた。

「こっちじゃないの?」

 またぼくは道を間違えるところであった。

 それからは沢沿いをだらだら下った。モミジの葉が細い道にびっしりと落ちていた。

 来年の紅葉狩りはこの沢で決まりだ。

 それから一時間ほどは歩いただろうか。十時四十分に歩き始めて、河津七滝の駐車場に到着したのは午後三時だった。朝は寒く感じたこの場所が暖かかった。

 その後、温泉でゆっくりしたのは言うまでもない。

 疲れた筋肉がほぐされて、最高に気持ちよかった。

| | コメント (0)

2009年1月 9日 (金)

ランニング

 正月はなんだか寝てばかりいた。

 酒を飲んでは食っちゃ寝てという状態だったのだ。一日十四時間くらいは寝てたんじゃないかな。

 このような状態になることを、ぼくは眠り病と呼んでいる。疲れが溜まるとこういうことになるのだ。眠っても眠っても寝足りない気がして、だいじょうかなと思っていると、翌週あたりには、頭もすっきりとしてふつうに八時間睡眠で十分になる。

 正月にたっぷり眠ったせいで、仕事始めの今週は快調にきている。

 加えて気分がいいものだから、月曜からはランニングをはじめた。

 年末に忘年会で二年ぶりに会った漫画家にこう言われた。

「なんだよなんだよ、全然痩せてなんかいないじゃないか。痩せたんじゃなかったの?」

 痩せたのは昨年のことで、この一年で少々太った。ただし以前ほどには戻っておらず、太めキープの状態である。

 だからと言って、ランニングをはじめたわけではない。

 いつもの散歩コースに飽きたのだ。それで年末に、サーフィンをしているビーチのほうに行ってちょっとだけ走ってみたら、爽快だったのである。

 そこで、散歩コースを変更し、ビーチに行って走ることにした。

 ビーチまでは一キロくらいで、ビーチの幅は二百メートルくらいだろう。そこを二周して帰ってくる。所要時間は一時間。

 白砂のビーチをジーンズのままゆっくりランニングする。一昨年だったか急に走って、三日で膝を痛めたことがある。その反省から、今回は無理をしないようにした。あくまでゆっくりだ。

 この寒いのに、海ではサーファーたちがサーフィンしている。そんな彼らの姿を横目で見ながら、こちらはサーフィンのための自主トレみたいな気分であった。サーフィンも足腰が重要なので、いい鍛錬になりそうだ。

 それに夏には年に一度の野球の試合が控えている。まだ八ヶ月も先のことだが、昨年などは特に足腰が弱ったことを痛感させられた。動きをよくするためにもランニングはちょうどいいだろう。

 走っていると体がホカホカしてくる。一周でジャンパーや毛糸の帽子を脱ぎ、シャツ一枚になる。下はジーンズのままである。トレーニング用のジャージを買えばいいのだろうが、着替えるのが面倒くさいし、あくまで散歩の一環としてのランニングである。力は入れない。そう決めたのだ。

 だからゆっくり走る。

 それでも呼吸が上がる。額が汗でじっとりとなる。途中体操や歩きも含む。それで二周して家路に付く。

 仕事で火照った脳の熱が吐き出されていくようで気持ちいい。

 今日で五日目。

 いったいいつまで続くやら。

| | コメント (2)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »