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2008年12月26日 (金)

年納め

 もう少し早く、このページをアップするつもりだった。

 ところが一時間ほど前、パソコンが不調をきたして、サービスセンターに電話を入れた。

 するとすぐに復旧した。

 おかげで、今年最後のブログをしたためている。

 ようやく本日、新作の初校がおわった。

 まだ推敲するところはあるだろうが、ほっとしている。新年から推敲して、出版社に送ることになっている。

 乞うご期待!

 今年はこれまでにない時間をかけて、二作書いた。

 一つが六ヶ月、一つが五ヶ月丸まるかかった。

 本を造る面白さがわかってきた気がすると同時に、難しさも感じた。

 でも本を造ることは楽しい。

 来年は、もうちょっとマシな岡崎大五を見せられると思います。

 

そうそう、伊豆南部の合併後の新市名が決定しました。

「下田市」です。

希望がかなって、今年のクリスマスイブは、妻と二人で万歳しました。

ではみなさん、よいお年を。

次回は1月9日です。

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2008年12月19日 (金)

「おもてなし」と「もてなし」

 ここ数年来、よく聞くようになった言葉がある。

 「おもてなし」という言葉だ。

 先だっても、ノーベル賞受賞者が、ノルウェーでずいぶん歓待されて、日本では失われつつある「おもてなし」の心を感じたとインタビューで述べていた。そりゃノーベル賞受賞者だものの、ちやほやされて当たり前である。

 ご本人は、違うインタビューで、「これまでだれも自分の話になど耳を傾けてくれなかったのに、ノーベル賞受賞で有名になったことから、今度はなんでも耳を傾けてくれるようになった」と皮肉交じりに言っていたが、まさにそんな感じで記事になったのが、この「おもてなし」の話であった。

 個人的には、「おもてなし」、大嫌いである。

 なんか言葉に角がなくて、むにゃむにゃやわらかくて、ぞっとする。

 伊豆などという観光地に住んでいると、よく聞く言葉でもある。観光客に喜んでもらうために、みんなでおもてなししようと言うのだ。

 そしてその姿勢が、金科玉条のように唱えられる。

 この夏にも、さる旅館の若女将と話していたら、彼女もまた「おもてなし」の重要さを説いていた。

「いま、全国の旅館ではおもてなしの心を大切にしているんです。おもてなしは日本の心です。日本の美しさだと思います。ひいてはそんな心が、ビジットジャパンのキャンペーンにつながり、日本に来られる外国人観光客を呼び込むことにもなると思います」

 全国の旅館でやってくれるのは一向に構わないし、若女将という立場で「おもてなし」を大切するのも結構である。観光立国という考え方にも異論はない。

 でもそれって、日本の心と言うよりは、商売の心なのではないか。

 皮肉屋のぼくは、ついそんなことを考えてしまうのだ。

 そして商売の心が悪いと言うのではなく、商売の心は大切だと逆に考え、その商売の心を「日本の心」などというわけのわからないものに置き換えているところが嫌なのである。

さらに言うなら、「日本の心」を大切に、「失われつつある日本の心を守ろう」などと言われた日には、もはやほとんど強制だ。

だれも反論しようがなくなる。

なぜなら言うことが正しいからである。

しかし、よく考えてみると「日本の心」とはなんなのか。「失われつつある日本」とはいったいどんな日本であるのか、はっきりと理解することは難しい。

これまで世界を旅してきて、大なり小なりどこの国でももてなしを受けてきた。

それは「おもてなし」などというものとは次元が違う、もっと自然な人間の行為であった。遠くからよく来なすったねというストレートな感情だ。

そのもてなしの行為が、人間として美しいのであって、「おもてなし」が日本固有の美しさであるはずがない。

正しそうなことを振りかざし、近寄ってこられるのはうんざりである。

温泉旅館に泊まるなら、ぼくは放っておいてほしいほうである。

一人で黙って湯に浸かり、景色を楽しみ、料理と酒を愉しむ。もちろん妻と一緒だろうが、静かな時間を過ごすのだ。

そんな人にとって、「おもてなし」は邪魔である。

いや本当のもてなしとは、そんな旅行者がいることも理解する心だと思う。

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2008年12月12日 (金)

合併問題

 いま、伊豆の南部地域では、三人集まれば合併の話で盛り上がる。

 下田市、河津町、南伊豆町、松崎町の一市三町が一つの市になろうと言うのだ。

 松崎町では議会で何度も合併反対が多数を占めたが、最終的に住民投票までやって、一応合併の方向で話が進むことになった。南伊豆町では、伊豆南部地域唯一の公的総合病院の下田市移転をめぐって反対意見が多く、先日も、合併後に必要になる予算が否決され、このままでは合併なんてできないという報道まであったりもした。

 つまり合併すれば、当然議員の数は減らされるわけで、地域エゴをむき出しにして、公共性の高い論議に発展しないのである。

 こんなところは実に田舎っぽく、いい加減にしろと言いたくなるが、住民たちの間で話題になっているのは、新しい市の名前だ。

 これまで住民から多くの意見が寄せられ、いまでは四つに絞られている。

 下田市……なんと言っても開国の町。日本が開国を決めた下田条約がある。

 また北方四島を日本の領土と定めた日露和親条約が結ばれたのも下田だ。だから1998年に、エリツィン大統領が訪日した折、下田までおびき寄せて北方四島返還を確認させようとしたのだが、伊東近くの川奈まで来たものの、あと五十キロが遠かった。

 それに下田は唯一の市で、下田を知らない人は日本人では少ないだろう。観光がメインの土地柄だし、下田は残すべき名前だ。そこで、下田市河津町とか下田市松崎町とかにすればいいと言う意見もある。

 ぼくも下田市民だし、この意見に賛成である。

 伊豆下田市……下田市だと下田市に吸収されるような気がして嫌だという三町の人心に配慮した案である。ただし、伊豆には伊豆市や、伊豆の国市というわけのわからない市がある。とにかく伊豆なら知名度があるので、誰かに使われる前に使ってしまおうということだった。あの有名な修善寺すら、いまでは伊豆市の中に潜ってしまった。四年前のことだが、愚かな新市名だったと悪評くすぶる。

 南伊豆市……伊豆の南だからという安易な命名だ。この名前にこもったものはなにもない。現にある南伊豆町も昭和の大合併で生まれた町名で、町名よりも村落名のほうが今でも優勢である。

 伊豆美市……美しい伊豆ということだろうが、論外だ。単なる語呂合わせの感が拭えない。

 さて、読者の皆さんは、どの名前がいいと思いますか?

 決定するのは12月24日だ。

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2008年12月 5日 (金)

右下腹部が痛いのです。

 十一月になってから、なんとなく調子がすぐれない日が続いていた。

 どういう風におかしいのかと言うと、どんよりと体が重いのである。

 はっきりと風邪をひき、寝込み、風邪がよくなっても体調は悪いままだった。だから好きな酒も控えるようになっていた。

体が重いのと、腰が痛い。すると先週の金曜日には腹まで痛くなってきた。へその右下あたりだ。

もしかしたら、悪い病気じゃあるまいな……と心配になってくる。

ちょうど妻は帰省しており、一人だ。一人で考えると、人間、悪いほうに悪いほうに傾いていったりもする。

そう言えば二年前、医者に無理やり検査され、肝臓の数値が悪いと指摘を受けたことがある。その医者は女医で、人を脅すようなことばかり言って、高い金をふんだくり、以来、思い出すたび気分が悪くなる。多少体が不調でも、だからこの医者のところにだけは行きたくなかった。しかし、この医者以外に近くで知っているところはなかった。

悩んでいると、さらに腹が痛んだ。

ネットで確認してみると、虫垂炎の症状である。

虫垂炎ならいわゆる盲腸というやつで、切除する手術が必要になる。そうなると七日間から一週間は入院することとなり、いま抱えている二つの原稿の段取りを考えておかなければならない。

妻が帰ってくるのは、翌週の月曜日だ。

土曜日に医者に診てもらって、月曜入院がもっともありえるパターンだが、緊急入院になったらそうもいかない。

入院するなら、そうだ、生命保険の適用も考えられると、契約書を読んで確認しておく。すると一日あたり五千円の保険金が下りることになっていた。十日入院なら五万円である。五万円あれば、格安バリツアーに行ける金額である。

しかし腹が痛かった。風邪をひいたときにも熱が出ると同時くらいに右下腹部も痛んだ。

もしかしたら、盲腸ではなく肝臓が悪いのだろうが?

友人の母親が、ずっと腰が痛いと言っており、接骨院などに通ってもよくならず、しばらくして内科で診てもらうと、ガンが発見され、いまではモルヒネ中毒で、もはや死を待つだけになっている。

よもや……という思いが募った。

発見されれば覚悟ができる。

そう思って、土曜日の午前中、あの女医のところではなく、もっと大きな地域唯一の公的総合病院に行った。ちょっと遠いが背に腹は変えられないのだ。きっとぼくは相当深刻な顔をしていたにちがいない。

病院は意外と空いていた。

すぐに診察の順番がまわってきた。

この病院では友人の一人が乳がんを発見されている。

「右下腹部が痛いんです。押すと痛い」

 とぼくは男性医師に訴えた。

「そうですか……」

 と彼は思案気だ。

 ベッドに横になって膝を立て、医師の触診がはじまった。

「ここですか?」

「いえ、もっと下」

「このあたり……」

「そのそのあたりです」

 押されて思わず「プーッ」とおならが出てしまう。

 ぼくは手であたりの空気を撹乱した。

「いわゆる盲腸ではないですね。盲腸はもっと上のほうだから。あのあたりだと直腸だと思います」

 友人に一人、若くして直腸ガンで亡くなったやつがいた。まだ四十代前半だった。彼もまた死の間際はモルヒネ中毒だった。

「CTとレントゲンを撮ってみましょう」

 と医師は言った。表情を出さないようにしているせいか、なんとも読み取れなかった。

 CTはお棺の中に入っていくような心境だった。

 レントゲンは自分自身が明らかにされる恐怖を感じた。

 ……そして二十分後。

医師はCT写真とレントゲン写真を前に開口一番こう言った。

「ここ見てください。ウンコがこんなに溜まっています。こっちは膨らんでいるでしょう? これがガスです」

「つまり、病名は?」

 とぼくは目を剥いた。

 あまりに必死だったものだから、目が充血していたかもしれない。

「はっきりしたことは、便秘だということです。あと、悪いところはないですね」

 たしかにぼくの内臓は、きれいであった。

「とりあえず便秘の薬を二週間出しておきますので、飲んでください。でもこれでよくならなかったら、大腸にカメラを入れて診ますので」

 と医師は、最後まで冷静さを崩さなかった。

あれから一週間がたち、ぼくの体は如実に軽くなっている。やたらにウンチとおならが出てくれて、腹の痛みも治まった。

今後ぼくは、この先生に主治医を変更することにした。

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