月曜日、時折小雨が降る中を、はじめて下田市内をガイドしてもらいながら歩いた。
このところ、暇を見ては下田と開国、アメリカとの関係などを調べているのだが、その前に予兆というか、一度ガイドの話を聞いてみたいと思ったことがある。
それは昨年の十二月、先週も書いた西牟田靖が奥さんと下田に遊びに来たときのことである。
「ボランティアガイド、とてもよかったですよ。下田の長楽寺で日露和親条約が結ばれていたんですよね。いま、国境のことを調べているから、感激しました。まさかあの寺でね」
と西牟田がひどく感心していたのだ。
この条約を別名下田条約とも言うのだが、この時、日本とロシアの国境を択捉島の北とすることと、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島が日本領として確定した。
それが戦後、日本政府が北方領土を固有の領土だと主張する論拠になっている。
だから1999年に当時のエリツィン・ロシア大統領が訪日した時、伊豆半島の伊東にある川奈までは呼び寄せたのだが、もうあと少し、五十キロ南に来れば下田だ。長楽寺を見せて下田条約を再認識させようといろいろ運動を起こしたのだが、そこはロシアも深慮遠謀をめぐらせて、川奈に止まったそうである。
まだ読んでいないので、西牟田靖の新刊『誰も国境を知らない』(情報センター出版局)http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%B0%E3%82%82%E5%9B%BD%E5%A2%83%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%95%E6%8F%BA%E3%82%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%8D%E3%82%92%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%8B%E6%97%85-%E8%A5%BF%E7%89%9F%E7%94%B0-%E9%9D%96/dp/4795848920
に、どの程度北方領土の話が出てくるかわからないが、国境に興味のある人は必読本だと思います。
「旅にこだわり、現場にこだわり、実感にこだわり、イデオロギーにとらわれず事象に向き合うことを武器とする」(著者紹介より)ところは、ぼくも共感を覚える。
さて、つい西牟田の話になってしまったのだが、今回はボランティアガイドの案内で下田を歩いたという話だ。
ガイドのTさんとは、息子さんとニューヨークでお会いしたのが縁で、ぜひにと今回ガイドをお願いした。
下田ボランティアガイド協会では、駅近くの下田市観光協会から、平日は午前十時より、土日祝日は午前十時と午後一時の二回、無料ガイドを行っている。http://kankou.pref.shizuoka.jp/search/npo/detail.asp?id=9
六年目にしてようやく下田の歴史に興味を持ちはじめたのだが、Tさんは当然のように何でも詳しく、質問攻めをするぼくに、実に丁寧に答えてくださった。
「ここが旧下田街道で、天城峠から続いているんです。『伊豆の踊り子』の踊り子が泊まったとされるのが、そこの甲州屋さん。かつて下田の代官だった韮山の江川氏が甲州を所有していた時代があってですね。現在の下田市北部には甲州からやってきた人が多くいるんです。下田は江戸幕府の直轄地でしたが、周辺は韮山の江川氏が、白浜は天草が採れたことから沼津藩が手離さず、またに伊豆の松崎町は、掛川藩の飛び地だったんです」
宝福寺は、かの「唐人お吉」の墓がある寺だが、お吉は実は、初代アメリカ公使タウンゼント・ハリスのところに看護婦のようなかたちで世話に上がっただけで(当時は看護婦とう概念がまだなかった)、わずか三日で返されている。
タウンゼント・ハリスは、元米国国務長官のコリン・パウエルなど多才な人材を輩出しているニューヨーク市立大学の創始者で、教育者の一面も持つ。謹厳実直な人柄が評価され、初代日本公使を勤めたほどであるから、「お吉のお相手」という役柄は、ハリスのことを調べると、あり得ないという思いが募るばかりだ。
十一谷義三郎という作家が、1928年に中央公論に発表したのが、何度も劇化されたりしてすっかり有名になった。
Tさんによれば、十一谷以前に、下田に暮らした文学好きの医者がこの話を創作し、それを十一谷が聞きつけて、発表したものであるらしい。その医者の家はそこですよとTさんは指差しながら説明してくれた。
地元にいると、こういった裏話が聞けるのが実に楽しい。
ぼくが質問ばかりするものだから、なかなか前に進まなかった。
それでも一応、日米和親条約の舞台になった了仙寺や長楽寺など主要なところは回った。中でも一番面白かったのは、欠乏所と呼ばれた場所で、これは当時アメリカ海軍が来ていたときに、彼らが買物をする場所となったバザールである。
ハリスはここを領事館にしたかったのだが、湾を挟んだ反対側の玉泉寺に置かれることとなった。
ぼくの頭の中には、幕末の下田の様子がありありと浮かんできた。
興味津々街を闊歩するアメリカ軍人と、彼らを取り巻く下田の人々。エラそうに人払いをする木っ端役人。さぞやさまざまなエピソードに彩られていたことだろう。
彼らはまさに、ぼくの得意の分野、添乗員シリーズに登場する日本人や外国人の姿のようだったろう。
新しい時代劇の構想が、ますます膨らんでくるのであった。
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