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2008年10月31日 (金)

静岡大道芸ワールドカップ

 明日から三連休である。

 むかしはそんなに三連休なんてなかったはずなのに、最近はやたらに三連休が多くなっている。こうなると、フリーランスで休みの日まで働いている者よりも、勤め人のほうがしっかり休めるような気がするが、休日出勤する人も多いだろうから、なんとも言えない。

 変な話になってしまったが、この三連休は、久々に休みらしい休みを過ごすことになった。

 最初は、ホテルの宿泊券を持っているので、鹿児島にでも行こうかと妻と話し合っていた。でもせっかく鹿児島に行くなら屋久島にも行きたいと思って計画していた。

 しかし新しい仕事のアイデアが生まれると、鹿児島は取材で行く必要があり、そうなると、鹿児島行きはその時まで待ったほうがいいんじゃないかと考えて、ここ数年、ずっと行きたいねと話し合っていたほうを選択することにしたのだ。

 それが静岡大道芸ワールドカップである。

http://www.daidogei.com/2008/

すでに昨日プレビューショーが行われ、今日からは本番がはじまっている。

世界20カ国から総勢91161人の参加者たちが、すご技を見せてくれるのだ。

毎年、テレビでほんの触りだけを観ていたのだが、これではまったく満足できない。レポーターがうるさいばかりで、どうにも演技に集中できないのである。なんとかしろよテレビ局と言いたくなるが、近ごろのテレビ番組の傾向は、そんなものなので、テレビを観ても仕方がないのだ。

ただこれは、ある意味、作戦かもしれないといううがった見方もしている。

なぜならこの大道芸ワールドカップ、予算が相当厳しいそうなのである。だから新聞等での告知はあるが、演技や演技する場所など詳しいことはわからず、わかりたかったら500円の公式ガイドブックを買うしかないのだ。

そしてこのガイドブックで、予算不足を補おうと主催者サイドでは考えている。つまりある種の報道規制が敷かれ、メディア側でも自主規制しているのかもしれないと思ってしまうのであった。

HPもやけに重くて、開けないページも多い。

主催者サイドの気持ちはわかるのだが、もう六年も前から行きたいねと言いつつ、行けなかった理由がその辺にも隠れているような気がしてならない。

「どんなことをやっているのかな?」

 と聞いても、

「公式ガイドブックに載ってるよ」

 と返事されては、答えにならないのじゃないか。

 大勢のボランティアスタッフの手で運営されているので、批判をして申し訳ない気持ちになるが、これがちょっと遠くから車で四時間近く掛けて、泊りがけで見に行く人の気持ちです。

 でもまあ、明日明後日と楽しませてもらいます。

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2008年10月24日 (金)

だから混浴はやめられない

 友人の山崎まゆみさんが本を出版した。

 タイトルは『だから混浴はやめられない』(新潮新書)だ。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B7%B7%E6%B5%B4%E3%81%AF%E3%82%84%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-285-%E5%B1%B1%E5%B4%8E-%E3%81%BE%E3%82%86%E3%81%BF/dp/4106102854/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1224835873&sr=1-2

 ハートが熱く、バイタリティーに溢れ、とくにこの季節は取材で日本全国の温泉を旅して回っている彼女である。

 山崎さんと会ったのは、このコラムにも書いたかもしれないが、もう六年以上前のこと、ぼくがまだ東京は品川のボロアパートに住んでいたときのことである。

 友人の富永さんと我が家で飲む約束をしていたのだが、富永さんが来る途中に電話を入れてきた。

「実はさ、凄い美人が一緒に行きたいって言うもんだから、連れてっていいかな」

 富永さんの美的センスはよくはわからない(今でも不明だ)。

ぼくは半信半疑のまま最寄り駅に二人を迎えに行った。

ちょうど夕方、帰宅を急ぐサラリーマンや学生たちで駅のまわりは混雑していた。

そこに踏み切りを渡ってくる二人が見えた。

ぼくはもう、富永さんなど眼中に入らなかった。

真っ白いスーツを着た彼女は、予想をはるかに超える美人で、その女性こそが山崎まゆみさんだったのだ。

その頃ぼくはちょうどいまの妻と恋愛中で、なぜに人生、こんな時に美人に巡りあうものかと、悔しい思いがしたものである(恋愛中なのに)。

なんでも富永さんとは、ケニアでサファリツアーが一緒だったとか。

やはり旅に出会いはつきものである。

彼女や彼氏を真剣に探しているあなた、一世一代の長期休暇でもとって、海外旅行したほうがいい。とくにアフリカや中近東、中南米あたりがいいと思われるが、今日と同じような日々を送っているよりも、はるかに恋のチャンスは増えるはずである。幸い最近、円が単独で高くなってるし……。

話が逸れてしまったが、ぼくはそのケニアの話を聞いて、変に富永さんに嫉妬したものだった。

それから富永さんは長旅に出た。

おかげでぼくは、年に数回、山崎さんと二人っきりで会うチャンスをもらった。ただし、彼女もぼくもこの六年のうちに結婚したのだが……。

昨年富永さんが長旅から帰国し、メールをもらった。

「今度、山崎さんと会うんだもんね」

 互いにいい年である。

 しかしぼくたちは、そんな風にして彼女に会ったりするだけで自慢しあっている。

 いったいなんだと思われるかもしれないが、ぼくたちの間では、彼女はアイドルなのだろう。

 出版日が近づいてきたある日、山崎さんから電話をもらった。

 出版に際して、彼女の写真が本の帯に出ると言う。それが気になって、逆に出さないほうがいいんじゃないかと、彼女はナーバスになっていた。

「本を買ってくれそうな人までも、逆に引いてしまうんじゃないかと思って」

「なに言っているんだよ。それは不細工な人の話でしょうが。美人ないんだからいいんじゃないの。編集者は顔写真を載せたほうが販売も伸びると踏んだんだ。つまりは不細工じゃないってことの明かしだし、ぼくもそのほうがいいと思うよ」

「そうですか……。少しは気持ちが落ち着ました」

 と電話は切れた。

 それが先週、朝日新聞に顔写真入りの広告が掲載された。妻がメールで山崎さんに知らせると、彼女はその広告を見ておらず、また心配していると言う。

「十分可愛く撮れていましたよ」

 とこの場を借りて伝えたい。

 今後さらに、混浴界のアイドルになることが期待される彼女である。

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2008年10月17日 (金)

伊豆下田観光大全集

 今日の午後、原稿書きをしていたら、市内でカフェバー『茶気茶気』をやっているWさんが遊びに来た。彼は店の経営のかたわら、フリーペーパーを出している。タイトルは『下田的遊戯』。

タイトルどおり、観光地下田をどう遊ぶかというコンセプトの冊子になっている。

ここには妻のいけみかなこが毎号絵はがきを掲載している関係があり、彼女からあずかった原画を返す方々やってきたのだ。

原稿書きを中断し、ベランダでお茶を飲みつつしゃべった。

Wさんはしばらく東京にいたのだが、二十台半ばに下田に戻って店を開いた。あらためて下田のよさを思い知り、フリーペーパーを出すようになったとか。そんな彼がいつも考えているのが、この町のことである。

「もっとこう、下田のよさをダイレクトに伝えられないかと思っているんです」

「そうだね、下田のイメージって、いまさらお吉や踊り子、温泉だけじゃないものね。豊かな自然や美しい海もある。そういう意味では、若い人たちが感じる下田のイメージと白人観光客のイメージって近いものがあるかもね」

家の近所でも、日本人観光客がグッと減る秋になってから、やけに目立つようになるのが白人たちだ。

彼らはゴールデンウィーク前くらいからクリスマスくらいまで海で泳いでいるし、ビーチの遊び方も日本人とは違う。日光浴という遊びもあるのだ。泳ぐのは、あくまで二義的な楽しみに過ぎない。そして近所の小道をゆっくり散策したり、ランニングしたり、自転車を漕いだりといろいろだ。

海外旅行を知っている若い人たちも、例えばバリやプーケットで遊べるように下田でも遊べるときっと楽しいのだと思う。

少なくともぼくはそうである。

そしてぼくのところに遊びに来る友人たちも大差ない。

なにも旅館で刺身や天ぷら、鍋を食べる必要はなく、観光バスで連れられてきて、ホテル内をうろうろするだけでは全然面白くないのだ。

実は多くの観光客が、下田の本当のよさなど、頬を通り過ぎる風くらいにしか感じることなく、帰って行ってしまうのだった。

「もっと下田のすばらしさを伝えたい!」

そんなWさんの熱意が、一冊のガイドブックになった。

『伊豆下田観光大全集』である。ハイセンスなガイドブックに仕上がっている。

この本が国土交通省の平成20年度「半島らしい暮らし産業再生調査」に採択された。つまり国交省では、地方再生プロジェクトの一環として、半島支援を行っているわけである。

http://hanto.jp/modules/d3blog/details.php?bid=53

ぼくはWさんとお茶を飲みつつ、下田や南伊豆のイメージについて語り合った。

これからはどういったイメージでこの地域を売り出していったらいいのか。

常に私利私欲の範囲でしか動けないのが人間だ。ただやはり、観光地を再生していくためには、私利私欲を越えた公のイメージが必要だ。

住んでいるみんなは、その魅力をある程度共有できているのに、それが外に伝わっていかない。

伝える仕事(作家もその一つだと思う)をしている者としては、なかなかもどかしいものがある。

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2008年10月10日 (金)

新作没入

 ああっ、一週間が早い!

 新作にかかっているからなおさらだ。先週の金曜日には別件で打ち合わせがあり、そのついでもあって、友人たちに新作に関わるインタビューをしてきた。インタビューと言っても、旅の話を聞くとかいった程度のものである

 そしてインタビューがすぐさま小説の血となり肉となり、日々粛々とパソコンに向かっている。

 ぼくは本を一冊書くときは、必ずノートを一冊用意する。

 いま現在仕上がったもの、仕上がってないもの、途中のものも含めて企画が全部で八冊分ある。だから一応ノートも八冊あるわけで、表紙にはそれぞれタイトルが書かれている。書きあがったもの以外は、タイトル以外まだなにも記していないノートが多い。

 今回のノートのはじめには、まず出版社に送った企画書を印刷したものを貼りつけている。「あらすじ」、「登場人物」とこれも送った企画を貼りつけている。

それぞれのページは半分余白にしている。本文を書いていくうち、覚書のようにメモしていくのだ。

ほかのページには、調べたことが書いてある。フランスのパリとアフリカが中心になる物語なので、舞台となる地域のことは外せない。担当編集者のYさんが、わざわざ博物館まで行ってもらってきてくれた資料やインターネット情報などもある。

そのほか、いろいろと思いつくことも多くなる日々で、メモ帳とペンを手離せない。調べておきたいことや、使いたいフレーズ、作品の底を流れる思想など、思いつくままに書いておくのだ。新聞の切り抜きも欠かせない。

翌日は、まず資料の貼り付け、メモ帳チェックから作業が開始する。

やがて昨日書いた直しからはじめて、スピードをあげると、まだなにも書いてない真っ白いキャンバスに突入する。

昨日は、近所に暮らすフランス人のPさんに来てもらって、最近のパリの様子やフランス人らしい常識、知識を教えてもらった。彼はフランスに行ってきたばかりだ。

そして今朝も朝八時からパソコンの前に座って、三時間、息を詰めて突っ走った。Pさんの話が随所に役に立った。

これで今週は終了である。

次週はどこまで進むかわからないし、どんな展開になるのかも、作者自身がわからない。そろそろキャラクターが立ちはじめたので、ぼくの構想を人物たちに演じてもらうのである。一応、どうしようかノートに書いて考えるが、どうなるかは書いてみなければわからない。

一段落したのでこの原稿を書いている。

今日の昼飯は韓国風焼き春雨のチャプチェを作るつもりだ。

波がないので、午後は昼寝と散歩、それに夕方には今日が締め切りの原稿を一本仕上げる。もう書いてあるので、あとは直すだけである。

夕食はカレー鍋。

一度食べてみたかった。

本当は昨夜の予定だったが、近所に住むYさんが来ることになり、ベランダで一緒に酒を飲んでしまった。

それにしてもいい季節になった。

夜のベランダが気持ちよかった。

夕暮れ時にはまだ蚊が出るが、夜になればそれもおさまる。

鈴虫がきれいな声を響かせていた。

波の音が聴こえた。

半月が、ちょっと丸みを帯びていた。

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2008年10月 2日 (木)

新時代劇構想

 月曜日、時折小雨が降る中を、はじめて下田市内をガイドしてもらいながら歩いた。

 このところ、暇を見ては下田と開国、アメリカとの関係などを調べているのだが、その前に予兆というか、一度ガイドの話を聞いてみたいと思ったことがある。

それは昨年の十二月、先週も書いた西牟田靖が奥さんと下田に遊びに来たときのことである。

「ボランティアガイド、とてもよかったですよ。下田の長楽寺で日露和親条約が結ばれていたんですよね。いま、国境のことを調べているから、感激しました。まさかあの寺でね」

 と西牟田がひどく感心していたのだ。

この条約を別名下田条約とも言うのだが、この時、日本とロシアの国境を択捉島の北とすることと、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島が日本領として確定した。

それが戦後、日本政府が北方領土を固有の領土だと主張する論拠になっている。

だから1999年に当時のエリツィン・ロシア大統領が訪日した時、伊豆半島の伊東にある川奈までは呼び寄せたのだが、もうあと少し、五十キロ南に来れば下田だ。長楽寺を見せて下田条約を再認識させようといろいろ運動を起こしたのだが、そこはロシアも深慮遠謀をめぐらせて、川奈に止まったそうである。

まだ読んでいないので、西牟田靖の新刊『誰も国境を知らない』(情報センター出版局)http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%B0%E3%82%82%E5%9B%BD%E5%A2%83%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%95%E6%8F%BA%E3%82%8C%E5%8B%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%8D%E3%82%92%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%8B%E6%97%85-%E8%A5%BF%E7%89%9F%E7%94%B0-%E9%9D%96/dp/4795848920

に、どの程度北方領土の話が出てくるかわからないが、国境に興味のある人は必読本だと思います。

「旅にこだわり、現場にこだわり、実感にこだわり、イデオロギーにとらわれず事象に向き合うことを武器とする」(著者紹介より)ところは、ぼくも共感を覚える。

さて、つい西牟田の話になってしまったのだが、今回はボランティアガイドの案内で下田を歩いたという話だ。

ガイドのTさんとは、息子さんとニューヨークでお会いしたのが縁で、ぜひにと今回ガイドをお願いした。

下田ボランティアガイド協会では、駅近くの下田市観光協会から、平日は午前十時より、土日祝日は午前十時と午後一時の二回、無料ガイドを行っている。http://kankou.pref.shizuoka.jp/search/npo/detail.asp?id=9

六年目にしてようやく下田の歴史に興味を持ちはじめたのだが、Tさんは当然のように何でも詳しく、質問攻めをするぼくに、実に丁寧に答えてくださった。

「ここが旧下田街道で、天城峠から続いているんです。『伊豆の踊り子』の踊り子が泊まったとされるのが、そこの甲州屋さん。かつて下田の代官だった韮山の江川氏が甲州を所有していた時代があってですね。現在の下田市北部には甲州からやってきた人が多くいるんです。下田は江戸幕府の直轄地でしたが、周辺は韮山の江川氏が、白浜は天草が採れたことから沼津藩が手離さず、またに伊豆の松崎町は、掛川藩の飛び地だったんです」

 宝福寺は、かの「唐人お吉」の墓がある寺だが、お吉は実は、初代アメリカ公使タウンゼント・ハリスのところに看護婦のようなかたちで世話に上がっただけで(当時は看護婦とう概念がまだなかった)、わずか三日で返されている。

 タウンゼント・ハリスは、元米国国務長官のコリン・パウエルなど多才な人材を輩出しているニューヨーク市立大学の創始者で、教育者の一面も持つ。謹厳実直な人柄が評価され、初代日本公使を勤めたほどであるから、「お吉のお相手」という役柄は、ハリスのことを調べると、あり得ないという思いが募るばかりだ。

 十一谷義三郎という作家が、1928年に中央公論に発表したのが、何度も劇化されたりしてすっかり有名になった。

Tさんによれば、十一谷以前に、下田に暮らした文学好きの医者がこの話を創作し、それを十一谷が聞きつけて、発表したものであるらしい。その医者の家はそこですよとTさんは指差しながら説明してくれた。

地元にいると、こういった裏話が聞けるのが実に楽しい。

ぼくが質問ばかりするものだから、なかなか前に進まなかった。

それでも一応、日米和親条約の舞台になった了仙寺や長楽寺など主要なところは回った。中でも一番面白かったのは、欠乏所と呼ばれた場所で、これは当時アメリカ海軍が来ていたときに、彼らが買物をする場所となったバザールである。

ハリスはここを領事館にしたかったのだが、湾を挟んだ反対側の玉泉寺に置かれることとなった。

ぼくの頭の中には、幕末の下田の様子がありありと浮かんできた。

興味津々街を闊歩するアメリカ軍人と、彼らを取り巻く下田の人々。エラそうに人払いをする木っ端役人。さぞやさまざまなエピソードに彩られていたことだろう。

彼らはまさに、ぼくの得意の分野、添乗員シリーズに登場する日本人や外国人の姿のようだったろう。

新しい時代劇の構想が、ますます膨らんでくるのであった。

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