2018年12月12日 (水)

「ITテクノロジーを使って、ローカルからの逆襲が始まる!」

来春の市議選に出馬することになってから、僕の住む町、下田のことをどうしたらいいのか。どう構築したら町が再生できるのか、より深く考えるようになりました。

そこで今まで考えてきたことを、ITテクノロジーというキーワードでまとめてみたのがこの考察です。
これをテキストに、先日勉強を開いてみました。
突っ込みどころ満載の考察ですが、幅広くみなさんの意見をうかがいたく、ちょっと長いですが、掲載します。
ご意見お寄せいただければ幸いです。

『ITテクノロジーを使って、ローカルからの逆襲が始まる!』  2018.12.10

 

未来の下田を築くために役立ちそうなITキーワード集」

 岡崎大五

 

フィンテック

FinTech(フィンテック)とは、金融(Finance)と技術(Technology)を組み合わせた造語で、金融サービスと情報技術を結びつけたさまざまな革新的な動きを指します。

企業会計の簡素化や、電子マネー、格安の海外送金、両替システムなどを行うことで、既存の金融業界の脅威になりつつあります。

 ●QRコード決済(ヤフーとソフトバンクの「ペイペイ」登場でニュースに)

 ソフトバンクの孫さんと中国のアマゾンと呼ばれる「アリババ」の馬さんはマブダチで、互いに互いの会社の取締役になるほど。

 中国ではアリババのQRコード決済「アリペイ」。ここ数年で大躍進した中国国内で広がった第三のマネー(中国では屋台も物乞いも使用)です。小売りが幅を利かす中国的商売の世界観に、実にマッチしています。

それの日本版が「ペイペイ」。基本、加盟店手数料が0円なので、大企業優先の手数料の高さ(3~5%)から、クレジットカード決済ができなかった、日本の地方部や都市部の商店街でも、積極的に導入されそうです。

QRコート決済が拡大すれば、当然、地方部での消費の拡大が見込まれ、都市部、大企業有利だった経済環境に、劇的な変化をもたらす可能性を秘めています。

10%増税の電子マネー還付金制度、東京オリンピックが契機になりそう。

経産省では事業者が乱立するとそれぞれのQRコードも乱立して、わかりにくくなるため、1つのQRコードで全社が対応できるように開発中。

またロンドンなどでは、スマホ一台で、各種バスや列車の乗車賃支払いにも対応できるなど、公共の分野でも浸透しています。

さらには近い将来、海外旅行のシーンでも、スマホ内で両替、支払いができるなど、クレジットカードより安価なサービスが期待されています。

 

 

 

 ●5G

 第5世代移動通信システムのことで、日本では2020年の商用化が見込まれています。通信情報が膨大になる中、通信環境は大混雑の状態で、それを大容量、超低遅延にすることを可能にします。

 医療現場での手術や農業、漁業分野での遠隔操作、自動運転など、情報の遅延が許されない環境での対応力が期待されています。

 国交省では2020年以降の日本のローカルでの無人運転バスの試験運転実施を発表。過疎と高齢化、公共交通サービスの低下で、疲弊するローカルの救世主になるかもしれません。

 日本のローカルは、人口減、高齢化、交通困難、医師不足など、日本の大都市部や中国を始め、これから多くの国が直面する諸問題を抱えています。

しかも先進国で、5Gが始まると、AIを使ってデータを蓄積させ、より社会が高度化、複雑化している都市にも対応できるようなテクノロジーの開発に向け、日本のローカルは実験場としては最適で、中国企業が、そのデータの入手にかなり積極的だそうです。

欧米や中国ではすでに自動運転バスが運行、自動運転バスそのものも量産体制に入っています。

日本でも沖縄や江ノ島、日立市、大分市などで実証実験が始まっており、国土交通省では、「中山間地域における道の駅等を拠点とした自動運転ビジネスモデル」が実験中です。

下田でも自動運転バス導入に向けて、動き出したいというのが、私の構想で、ルートは下田駅~多々戸浜~入田浜~大浜~碁石ヶ浜~竜宮窟~田牛~大賀茂~下田駅です(当初はコミュニティバスでよい)。

生活困難者への公共サービスと、ビーチや観光地、宿泊地域の連携をすることで、吉佐美地区のビーチリゾート開発を促進しようというものです。

福祉と観光の融合です。

地域開発は、かつての道路公団改革と同じく、民間企業の参入が求められており、その環境作りを後押しするために、自動運転バスを導入するのです。

また「人の流れをつくる」、竜宮窟人気で生まれた人の流れを後押しするためにも有効です。

ポップアップショップ

かつては人の集まる都会でビジネス展開するのが、当たり前でした。今でも当然そうですが、しかし物と人が溢れる都会では、多様化する人々のニーズに、かならずしも効率的に対応できているのではありません。

地価の高騰、空間の確保の難しさ、宣伝や広告を通しても、必ずしもユーザーに、確実に情報が伝わるわけではないのです。

そこで考えられるようになったのが、ポップアップショップです。

短ければ数日間、長くても3か月くらい特定の場所に店を出すのです。

たとえばスキー場に行けば、スキー愛好家たちが集まっています。冬のシーズンだけスキー場に店を出したほうが、よりダイレクトにユーザーと接点を持てます。

下田でもポップアップショップ出店を希望している民間業者がいます。たとえば吉佐美大浜の区所有地や、道の駅などで、海関連、アウトドア関連、釣り関連などの有名企業にポップアップショップを出してもらい、期間中、周辺に地元の屋台村を出現させるのです。

これまではイベントを観光協会などで開催してきましたが、逆転の発想で、観協は企画と場所を提供するだけで、地元負担を極力省力化して、より集客力が高く、収益性があり、下田のビーチリゾートのイメージ確立に寄与するイベントに変えていくのです(ビッグシャワーがやや近いかも)。

つまり、下田の下田的空間を利用したポップアップショップの誘致に乗り出すのです。

それほど下田にある空間は、世界的にも競争力が高いと思えるのです。

まずは吉佐美地区で、厳密にはポップアップショップではありませんが、JTと組んだハワイアンコンサート、喫煙所整備を企画しています。

有名民間企業の手を借りることで、適正なビーチリゾート開発を促進する狙いもあります。

考えてみれば、海の家も、夏のビーチを利用したポップアップショップに近いものだったのです。

また空間利用に関しては、ポップアップショップだけでなく、ビーチでもなく、廃校となった建物やグラウンドなども、興味を持ってもらえそうな民間企業とつながることで、楽しいことができるかもしれません。

 

AI

人工知能のこと。

中国ではすでに人工知能を使った医療が始められています。5Gが始まることで、遠隔地からの通信治療が可能になり、ローカルの医療サービスが都市部と遜色なくなってきます。また医師不足にも対応でき、医療費が安価にもなります。在宅治療も増えると見込まれています。

自動運転バスにも欠かせないのが、データの集積です。ローカルは都市部と違って交通量が少ないために、データを取りやすく、そこで日本では、ローカルから自動運転バスが導入される方針になったのです。

 

IoT

Inter of things」の略で「モノのインターネット」と呼ばれています。身の周りのあらゆるモノがインターネットで結ばれる仕組みのことです。これまでは、パソコンや携帯電話がインターネットでつながっていましたが、これからは、テレビやエアコン、車や医療機械も結ばれるのです。

自動運転バスや医療の遠隔治療には欠かせないものなのです。

5GとAI、そしてIoTが、そろって、未来社会が築かれていく。

すなわち2020年の5G開始で、ITテクノロジーを使えば、ローカルの逆襲が本格化できるのです。

日本のローカルは、袋小路に入ってしまったかのように、未来を見いだせないでいる。

しかし、「必要は発明の母」のたとえどおり、テクノロジーは、困ったところで必要とされているのです。

この20年で、中国や東南アジアが伸びたのも、インターネットと携帯電話の普及によって、より多くの人に新しいビジネスチャンスが生まれたからです。さらに、既存のビジネスでも、インドネシアの「gojeck」やベトナムのホームステイビジネスのように、ITテクノロジーを使って、効率化を図ることで、収益が劇的に向上するなど、豊かさがより多くの人に享受されるようになっています。

それがこれから日本のローカルで始まるのです。

ですから、下田も、新しいITテクノロジーを使って未来を築く。こうした発想が必要になるのです。

またIoTは、考え方としても重要です。

「下田」をキーワードにIoTのような関係性をあらゆる分野で構築し、異言語を乗り越えてグローバルな世界とつながっていく。

 「下田を世界のビーチリゾート」にするためには、世界中の多くの人に関心を持ってもらえるような情報の一元化、IT化が必要です。

 もはや観光は、日本国内のローカルな産業意識から脱却し、国際的なマーケットを意識した対策を打ち出さなければなりません。

東南アジアの観光は、インターネット・テクノロジーの発達で、いち早く国際化を果たしています。

 空き家対策、新規ビジネス参入、社会福祉の充実、子育て環境の整備、高齢者に便利な町などもあわせて、IoT的な仕組みを作り、より効率的で、しかも、ローカルな面でもこれまでどおり、ゆったり暮らせる、そんな下田の未来を築く。

 そのコンセプトは、「美しい海と緑に囲まれたリゾート下田が、性別、人種、動植物を問わず、多様な命を大切にする町」です。

それがどうすればできるのか、今後ともより具体的に、考えを深化させていきたいと思っています。

 さあ、ITテクノロジーを使って、ローカルからの逆襲を始めましょう!

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2018年6月 1日 (金)

伊豆下田『清流荘』取材秘話

 WEB『伊豆下田100景』の依頼で、高級旅館『清流荘』に宿泊し、取材することになった。「読む宿」というコラムをたまに書いているのだ。

http://hotel.shimoda100.com/read
 清流荘は昭和14年創業の老舗高級旅館で、米元カーター大統領が下田を訪れた折、ランチにも立ち寄っている。
 もうずいぶん前になるが、単なる老舗高級旅館から脱しようと、スパに特化、素晴らしい施設を擁していることだけは聞いていた。
 旅館の前は結構通るのに、周囲が、川と、山と、緑の庭に覆われているので、中までうかがい知ることは不可能である。
 いったいどんなスパ施設があるのか。
 高級旅館らしい和風庭園を横目に見ながら玄関に上がった。ロビーの名前は「汀(みぎわ)」。新緑の向こうに稲生沢川が見渡せる。まさにその名のとおり。シックで落ち着いた空間は、高級旅館のそれである。
 営業部長のTさんにいろいろと話を伺い、館内見学の後、さっそく水着に着替えてスパに向かった。まずは『Kelo』である。フィンランド風の山小屋サウナで、フィンランドの材と職人を呼んで作らせたとか。薪は地元産を使用している。
 本格的フィンランドサウナに入るのは、十数年ぶりのことである。息苦しくならないのがいい。小窓から新緑も見渡せる。
 まさにフィンランドそのものだ。
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 30分ほどゆっくりし、次は敷地の真ん中にドスンと居座る温泉プールだ。水温は年間を通して30度前後、真冬でも夜10時まで泳げる。
 25メートルプールをゆっくり40往復、計1キロ泳いだ。背泳ぎすると、見えるのは背の高いヤシの木と、深い緑の山である。
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 僕は下田市内の海に近い地域に住んでいる。さしずめ向こうがバリ島で言えば、クタかレギャンなのだが、こちらはまるでウブドゥである。
 鳥の声が聴こえ、ローマ式サウナからアロマの香りが、山小屋から薪を焼く香りが漂ってくる。
 なんという豊かさだろうか。
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 次にはオーストリア製のローマ式サウナで再び体を温める。モザイク模様のタイル張りは、伝統的なローマ方式である。体をタイルにピタリと付ける。
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 気分はもはやイタリアのポンペイ遺跡か、トルコのエフェス遺跡だ。
 そうして大浴場で、日本風の露天風呂に入る。
 すでに体も心も溶かされている。
 素晴らしい施設であった。
 スパ付き高級ホテルと言えば、ドイツのバーデンバーデンで、利用したことがある。
 日本にもこんなホテルがあったらいいなあと思ったのものだが、清流荘は、自然の豊かさ、敷地の広さでかの地の高級ホテルを圧倒していた。
 ところが日本人客には、なかなかなじまないと言う。
 建設後、20年が経ち、ようやく最近、スパとして認知されてきた。しかもその流れをけん引しているのが、フランス人客だと言うから、なるほどである。
 たしかに欧米人には、この旅館のよさが理解できるのだろう。純和風でありながら、各国各種の伝統的本格スパで癒せるのだ。
 しかもロケ-ションが抜群である。
 周囲の緑や静けさも、そうはないものだ。
 世界に誇れる超一級の施設と言えよう。
 これを建設したのが、元オーナーのTさんだ。
 今は諸事情から退いてしまったが、ようやく彼の念願がお客のところに届きそうになっている。
 Tさんとは市内でちょくちょく顔を合わせる。
 インテリジェンスのある温厚な人物である。
 僕と同年代だが、その昔、拙著添乗員シリーズを携えて、ヨーロッパを旅したと言う。
 僕の本の愛読者なのである。
 そのヨーロッパ旅行が、この施設を建設するアイデアの源泉にあるのかもしれない。
 そう思うと、余計に感慨深い取材宿泊となった。
 露天風呂を出て、無料のマッサージチェアに座る。
 すぐ脇には、きっとTさんがヨーロッパのどこかで仕入れたと思しき、旅行鞄型のスツールがあった。
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 旅好きが、全財産を捧げて作った世界に誇るスパ。
 これが、伊豆下田の蓮台寺温泉入口『清流荘』に行くとある。
https://www.jalan.net/yad376375/plan/?screenId=UWW3001&yadNo=376375&smlCd=211002&distCd=01&ccnt=yads5
 

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2018年5月25日 (金)

下田ビーチリゾート化計画

 今年から地元、下田の吉佐美区の理事になって、一昨日は管理する各ビーチの点検に行った。

 管理するのは、多々戸浜、入田浜、舞磯、吉佐美大浜の4つのビーチで、吉佐美大浜が最も大きく、駐車場は最大400台分もある。
 とくに夏の海水浴シーズンは力が入る。
 区の事業としては、売店、食堂、ビーチパラソルなどのレンタル、駐車場とあり、1日平均60名の人を雇い、各ビーチで監視する下田ライフセービング協会の学生たちと連携しながら行うことになっているのだ。
 今では事業は、ひと夏で1億円に届かないものの、かつてはそれ以上の売り上げを誇っていたらしい。
 地域の住民が駆り出され、全員同じ給料で働く。それも最近は、地域住民だけでは手が回らくなっているので、地域外の人にも声をかけ、手伝ってもらうようになっている。
 おかげで暴力団の侵入を防げ、健全な海水浴経営が行われているのだが、利用者サービスの向上まではとても手が回らず、今後高齢化、人口減が進む中、どのように運営していったらいいのか、地区ではもう何年も前から頭を悩ませている。
 過疎が進む地域では、おおむね、悲観的な思考が蔓延している。人口減少率が少ない吉佐美地区ではまだしも、下田市街地の人口減少は著しく、夢や未来を描けず、活力が生まれない状況がずっと続いているのだ。
 しかし、40代以下の人たちは、単に悲観的な思考に埋没することなく、前向きに事業をしている人もいる。
 なぜなら彼らは、仕事を始めた頃からすでに不況で、昔の好況期のことを知らないから、悲観的になりようがないからだという。
 吉佐美区の夏の海の事業も、こうした若手の力を注入すべきなのだと思う。
 そうして、下田全体をビーチリゾート化することで、海の通年化を推し進めるのだ。
 海水浴は、もともとイギリスで生まれた健康法で、海のミネラルと太陽のビタミンをたっぷり吸収しようとするものである。
 僕の友人のイギリス人パットなど、我が家に一週間滞在中、毎日海に行っていた。何をしているのかと聞くと、本を読み、ランニングし、海に入って体を冷やし、日光浴して昼寝する。
「極楽だね」ということだった。
 そんな欧米人旅行者が、実は下田には多くいる。
 もう20年も前、下田にはシークレットビーチがあると、インドのダラムサラで聞かされた。ダラムサラは、チベット亡命政府があり、チベット仏教の最高指導者ダライラマが暮らす、北インドのリゾート地だ。
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吉佐美大浜で早くも泳ぐ欧米系外国人
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 駐車場でくつろぐ欧米系が行く人も
 それが吉佐美大浜で、だから僕は、友人とこの下田に来るようになったのである。
 昔から、外国人の間ではそこそこ知られ、いまでも彼らの姿は多い。
 今年はタイのピピ島も、フィリピンのボラカイ島も、汚染がひどく閉鎖されることになった。
 そしてビーチリゾートは、世界では意外とあまり数がない。だからこそ、ピピ島やボラカイ島のような現象が起こるのだろう。
 海外旅行が一般化し、数少ない美しいビーチリゾートを求める人の数が、飛躍的に増えているのだ。
 幸い日本は先進国で、汚染対策を含む設備は整っている。
 しかも下田の海の美しさは、世界の一級である。
 間違いなく、プーケットやバリ、沖縄本島以上の透明度だ。
 そこで、下田ビーチリゾート化計画なのである。
 今だシークレットのままでいる、我が下田は、いつしかれっきとしたビートリゾートとして、世界に名立たるところになるかもしれない。
 そんな夢や未来予想図が、僕の頭の中には、はっきりと描かれている。
 下田の町は、昔からそうだったように、これからも、きっと海の恵みを受けて変わるのだ。
 その第一歩になるように、今年は理事として、地元の人たちと一緒に活動していきます。
 少しずつかもしれませんが、みんなで下田のビーチを変えていきます。
 こうご期待!
 みんな、遊びに来てね。
 夏はたぶん、僕は毎日入田浜に来ています。
 今年は真っ黒になりそうだなあ。

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2018年5月11日 (金)

黒船祭と開国文化

 来週の金、土、日は、下田最大のイベント黒船祭だ。

 昭和9年から始まり、戦中は中止の年もあったが、今年で第79回を数える。
http://shimoda100.com/event/kurohune-festival-2018/
 僕がこの祭を始めて見たのは、15年前。下田に来た年である。
 米海軍や自衛隊、警官隊の吹奏楽団が練り歩き、アメリカ大使や静岡県知事、下田市長らがオープンカーに乗って、町をパレードする。
 この日ばかりは商店だけでなく、屋台もたくさん出て、町中は人だかり。日本人のみならず、アメリカ人もたくさんいて、しかも、時代衣装に身を包む人も闊歩しているという可笑しさである。
 一地方の祭とも思われない国際性はいったいなんだと不思議な思いに駆られた。
 そう、下田には幕末に黒船が来た。そのことが今につながっているのだ。
 そもそもは、この祭、玉泉寺に埋葬された黒船乗組員の米軍兵士の墓を参るために始められたものである。
 言いだしっぺは、明治神宮を建立したことで名高い、明治の経済人渋沢栄一である。いわく「墓には人集まる」と。
 大正末期から昭和初期にかけて、日本はインバウンドキャンペーンを行っており、イベントが各地で開かれていたという。そんな折だが、単なる祭など仕掛けても、長続きするものではない。祭には魂が必要だと、渋沢は、玉泉寺住職に墓前祭を提案したのだ。
 それが昭和に入って、黒船祭となった。「唐人お吉」人気もあって、観光地下田の核となる祭へと発展していく。
 
 昭和33年には、ペリー提督の故郷ニューポートと姉妹都市となる。
 国と国は戦争をするが、人と人とが国を越えて交流を深めれば戦争への抑止力につながり、世界平和へとつながるはずだという崇高な理念が、姉妹都市の中には隠されている。
 これは、人類が殺し合った第一次、第二次大戦の反省から生まれた構想である。
 そして下田の黒船祭は、1983年にはニューポートに輸出され、現在もニューポートでは、7月にブラックシップフェスティバルが開かれている。
https://www.blackshipsfestival.com/
 90年頃からは、両市の市民が互いに祭りに合わせて行き来するようになり、僕は、今年も訪問団の接遇係を仰せつかった。2008年には下田市訪問団を引き連れてニューポートにも行き、以来10年も、ニューポートクラブの一員として、祭に携わっている。
 すると年に一度だけなのに、会う人々の顔が懐かしく、うれしく、実に楽しい。
 今年もまた、ニューポートハウスに駐在しておりますので、お祭りにお越しの方は、ぜひ遊びに来てください。
 何か記念品でもみつくろって、差し上げたいと思います。
 
 今年は姉妹都市60周年なので、下田がこれまで培ってきた国際都市としての活動を、この冬、各中学校、高校をまわり、講演してきた。
 そして僕が感じたのは、この町は、日本開国以来、「開国文化」と呼べるようなものを継承し、培ってきたのではないかということだ。
 下田市観光協会のTさんは、あるネットサイトのインタビューでこんな話をしてくれた。
 外国人観光客が釣りをやりたいと言ってきた。そこで釣り船の船長に電話すると、こう答えた。
「俺は、英語は話せんよ。話せんでもいいなら、面倒見るぜ」
 インタビューをした記者は笑いながら驚いた。
「英語が話せないから、と断るのが普通でしょ? それなのに、英語が話せんでもよかったらって面白い!」
Tさんは言う。
「なんか、下田らしいなと思って……。きっと黒船祭のおかげで、みんな外国人に慣れているんです」
 下田らしいエピソードに、僕も笑った。
 この時は、僕は、この町には、たしかに開国文化が育てられていると感じたものである。

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2018年4月20日 (金)

大勢で食べるご飯はおいしい!(下田インド化計画報告)

 先週、「下田インド化計画」と題して、マサラワーラーの二人にお越しいただき、南インドカレー食べさせ放題を行った。

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当初は20人集まるかな、頑張って50人だ!とみんなで言っていたのだが、なんと大人81名、子供25名の計106名ものみなさんが集まり、加えてボランティアスタッフが12名もいるので、総勢120人近い人が集まったことになる。
 ただし、会場となった伊豆白浜BBQガーデンは広いので、子供たちは走り回ったり、トランポリンをやったり、大人も庭をぶらぶらしたり、備え付けの椅子でまったりくつろいだりもできる。
 http://bbq-garden.jp/
 自由で開放的な時間となった。
 そして100名ものみなさんが一堂に会すると、壮観である。
 二列に分かれて、晩さん会のような席で、受付で配ったバナナを手に、着席し、「これがお皿?」とか言って、子供たちがはしゃいでいる。
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 今回供するのは、南インドカレーの「ミールス」である。バナナの葉の上にご飯と何種類ものおかずをよそい、腹いっぱいになるまで食べてもらうのだ。
 当然のこと、南インドの習慣にのっとり、手で食べる食べ方も伝授する。
 挨拶が終わると、スタッフ一同、ボールに入ったご飯や、小さなバケツに入ったカレーを各席のバナナの葉によそっていった。
 思っていた以上に、みんな手で食べている。
 お代わりください、という人もいれば、小さくうなずき、よそってもらう女性陣もいる。
 どの顔にも笑顔が弾け、とても楽しそうである。
 手で食べるのも面白い。
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 カレーも初めて食べるメニューばかりだ。
 そして何より、大勢でみんな一緒に食べることが楽しい。
 ご飯は、大勢で食べたほうがなぜかおいしい。
 そしてうれしい。
 ほぼ一時間で、みんな食べ終わったが、それでも一時間もカレーを食べ続けるなど、普通は考えらない。
「お腹、パンパンよ!」
 とあちこちで笑みがこぼれる。
 チャイを提供するとすぐに売り切れ、何度も作った。食事後も、多くの人は、庭を散策したり、おしゃべりに興じたりとゆったりと時間を過ごしていただいた。
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 ほぼ皆さんがお帰りになったのは、三時半過ぎである。
 開始から三時間が過ぎていた。
 さっそくFBに投稿された。
「とても楽しい異文化体験でした!」と。
 なるほどそういうことだったのだ。
 単に南インドカレーを食べる会だったのではなかった。
 バナナの葉、手食、食べさせ放題、各種のカレーに米も日本のものとは違う。
 すべて異文化なのである。
 そして新鮮な空気の中で、大勢と一緒に食事する。
 人生の中でも、たぶん、そうはない体験だろう。
 そして僕は思った。
 どうして大勢で一緒に食べると楽しいのだろう。
 答えは、まだない。
(写真は、参加してくださった友人のHさん撮影です)

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